友禅師 惺 〜結婚式〜02 状況報告

novel-長編-
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100円ラーメン

真弓いわく阿久津には、今日の待ち合わせ時刻を15時と言い、惺に伝えた14時よりも、1時間遅く設定したとのことだった。だが実際、阿久津が喫茶店に到着したのは、惺と真弓が話し始めてから2時間もしない、16時半の頃である。惺がアパートにいないゆえ、真弓の嘘に気が付き、14時から捜し始めたと仮定しても、ゴールの喫茶店を見つけるまでに、時間が掛からなかったことは明らかである。ただしその間、必死に探したであろう阿久津の形相が、惺を無言で威圧する。惺は、真弓を従者に預けると、阿久津と一緒にアパートへ戻り、家に帰ったばかりの高貴も連れて、行きつけのラーメン屋に入店した。高貴をわざわざ同行させたのは、阿久津の怒りの抑え役に。弁明場所がアパートではないのも、第三者の目がある場所で説明をする事で、阿久津の虚栄心が働き、自我を抑制してくれる可能性に期待した。しかし、カウンター7、テーブル4の小さな店内のうち、3人が並んでカウンター席に座るなり
「ふっざけんなよ、惺!こっちから言い出した条件をお前がぶち壊してどうするんだよ!」
と、阿久津は全開で怒っている。それもそのはず、店主以外に人がいない。阿久津もここの常連で、親父とは顔見知りであり、惺の思惑は半分外れる。

阿久津の話しによると、着替えていると、早川の家から連絡が入り、真弓さんが住者と出掛けたが何か知らないかと聞かれたとのこと。事情を伝え、待ち合わせ場所に電話をするが、真弓さんも惺もどちらも居ない。慌てて惺のアパートに連絡をするが、大家さんも不在である。早川さんがその時点で、警察に連絡しようとするが、阿久津はもう少し待つよう願うと、高貴の学校へ連絡。高貴が待ち合わせ場所の名前を覚えてくれていたお陰で、ようやく喫茶店を見つけたとのことだった。
「だ〜か〜ら〜、俺のせいじゃないだろうが〜」
と、惺は一通り阿久津の苦労を聞くと、いちおう自分の言い分を伝えてみる。
「っていうか、むしろ俺が被害者でしょ。あの時は真弓さんが外出禁止だって知らなかったし〜、なんか切羽詰まった様子だったし〜」
他にも状況的に、真弓の真意は今しか聞けないだろうと、惺は直感として感じたのだが
「違うだろ! 今回の依頼人と接見する際は、必ず俺同伴でって部分。会う場所云々じゃなく契約上の問題。それと嫁入り前の娘を、独身男とふたりで合わせられねぇって普通。特に真弓さんみたいな訳アリは、早川さんは怒ってなかったから良かったようなものの、もし真弓さんに何かあってみろ。お前この業界から干されたいのかよ」
とのこと。契約上の問題は仕方ないとして
「嫁入り前じゃないじゃん、2回目じゃん…」
あの場の状況を理解を示してくれそうに無い阿久津に、惺は小学生並の反論をする。しかし
「体裁ってもんを知らんのか!」
阿久津が一括して終了した。
「そうですねぇ、下手すると警察のお世話になっていたかもしれないですねぇ」
ここで自然と会話に参加するのは、第三者の役割を担い、惺も阿久津も中立性を信頼するラーメン屋の親父である。しかし惺の期待するフォローとは逆に、より悪い方へ修正した。

醤油味の自家製スープに生麺を入れ、トッピングはナルト1枚、茹でたほうれん草のシンプル仕上げ。100円ラーメンの名前で近所から親しまれているこの店は、実は本業はおでん屋である。屋台から店を持つにあたり、おでんの他に趣味で作っていたラーメンを出し始めた所、意外に好評で続けているとのこと。なんちゃってラーメンだと親父は言うが、100円でここまでやってくれる店を、惺も阿久津も他に知らない。惺はラーメンを3人前頼むと、親父は生麺を3玉、湯を沸かしたままの寸胴に勢いよく放り込む。
「ホント、高貴が覚えててくれなきゃ、今頃どうなっていたことやら」
ため息混じりの阿久津の横で、店のテレビを見る高貴。アパートにテレビが無いせいか、たとえ内容がニュースでも、大抵テレビに夢中になる。自分の名前が呼ばれたことすら気が付かず、そんな高貴をからかうように、惺は冗談とも取れないセリフを言ってみる。
「そうだなぁ、どうせ仕事も無いし、転職でもするか?」
「…え!」
どうやら大人たちの会話は、聞こえていない訳では無いらしい。試されたにしてはタチの悪い内容に、高貴はたちまち反応した。惺が友禅を辞めるなら、高貴は当然アパートから出て行かなければならないことになる。
「ロクでも無いこと言うんじゃねぇよ」
阿久津は高貴の不安をかき消した。
「お前から友禅取ったら一体何が残るってんだよ。大体、お前みたいな怠け者、何処も雇ってくれねーよ」
続けていつもの悪態を付き、趣味ラーメンに手を付ける。ひと通り怒り終え、自分の話しも済んだため、周りの様子を伺う余裕と、惺の言い訳も聞く気になったようである。

外出禁止の理由について

「にしても外出禁止って、真弓さんって方、どこか体でも悪いんですかぃ?」
「そう言う訳でも無いんだが」
惺たちが常連という事もあるが、阿久津が食べ始めた頃を見計らい、親父は本格的に惺達の会話に参加する。親父が参加して良い会話であればカウンターへ、駄目なら離れた4人席へ。この店はそう言うルールが出来ていて、惺は時々そのルールを利用する。

真弓の話しは至ってシンプル。外出禁止のなか、唯一監視が甘くなる「結婚活動」を利用して、安否不明の主人と息子の捜索を行いたい。その際、親や婚約者には内緒にするため、言わないで欲しいとのことだった。
「それがまた何で、探す事にまでなっているんです?」
親父の素朴な疑問に対し、阿久津も同時に惺を睨むが、惺は気にせず話しする。
「一人になれる時間がほとんど無い。恐らく、真弓さんが当初予定していた自由時間っていうのは、早川家から出て、行きがけや帰りの道中も入れた、俺らと会っている時間丸ごと、作業見学のフリをして探す予定だったんだろう。けど先日の打ち合わせの際、成りゆきで婚約者の井荻さんと、父親の早川さんも、見学に一緒に付いて来ることになっちまって」
阿久津が一瞬、ラーメンを軽くのどを詰まらせ、うっとなる。
「その上、今日のこの騒ぎ。ただでさえ少ない外出時間に、ふたりも余計な人間が付いて来るかもしれないっていうのに、一体どうやって探すんだと。案の定答えに困ってて、真弓さんもそこは想定外だった訳だ」
「なるほどねぇ」
阿久津の一時の硬直をヨソに、淡々と話を続ける惺と、相槌を打つ親父。阿久津がどんぶりを掴む左手に、問題の指輪が光っている。
「他に外出する手段が無きゃ、俺と阿久津に『隠しておく』ことだけは伝えておかないと始まらない。まあ、こっちはそんなことは知らない訳で、契約上必要な事をしたまでだし、実際に打ち合わせに入ってから、自分ひとりでは無理だと気付いても、それなら別の方法で何とかしていたかもしれないし。ただ…」
惺はそこまでで言葉を途切らせた。
「聞いちゃいましたからねぇ」
親父がニンマリと言葉の続きを予測して答える。が、したり顔の親父に惺は、ニコっと笑うと首を振る。
「おや、違うんですかぃ?」
書類を出す惺
「預かってくれって」
従者が来る前に惺に渡した封筒か、と阿久津が気付く。中身は名前と住所が記載
「俺がこれを早川さんに言いつけたら、真弓さん、どうなるんだろうなぁ。結婚まで覚悟して、ちゃんと準備してたのに、今日もこんなんなっちゃってさ。もう一か八かで、信用せざるを得ないって言うのが正解なんだろうけどね」
書類をピラピラと振る惺
阿久津を説得している、と言うより、自分自身に言い聞かせ、確認しているようでもある。

「真弓さんが、ご主人とお子さんの行方を自分でちゃんと確かめたいって言う気持ちがさ。別れた途端に『もう亡くなってます』って言われて、信じろって言うのも無理な話しだ。俺らが手伝った所で見つかるなんて保証はないが、真弓さんの目的は捜索だし、ここまで話を聞いておいて、着物だけ作って何も判らなかったじゃ、知っている分バツが悪い」
「確かに後になって、協力していたら、助けていたらって、そりゃ後悔しますゎ」
「後味の悪い思いをしたく無いって言う、人のためでも何でもない、人を見捨てたことがあるって言う前歴を作りたくないってだけの、ただ自分のためってこと」
他にお客が入って来る。ふたりはテーブル席を選んで座る。
「でも親御さんも、亡くなってるって言うくらいなら言葉だけじゃなくてさ、せめて墓参りさせてやるとか、ケジメ付けさせてやりゃぁいいのにねぇ」
親父が話題を変えない時は、常連が店に入った時。問題無いの合図である。
客ふたりは『いつものやつ』を注文し、親父はカウンター越しに水を渡す。
ズルズルとラーメンを食べていた阿久津がぽつりと会話に参加する。
「確認させてやれない事情があるかもな」
親父が待ってました!とばかりに反応。
「なんか隠してるんなら、二人のうちどっちの事でしょ?」
ほぼ食べ終わっている阿久津に対し、じっくり煮込んだおでんを取りつつ興味津々で話しかける。
惺は親父の様子に目配せすると、ようやくラーメンにありついた。
「まさか2人とも生きてるとか、って言うか、生きてるんですかね」
自分の役割もさることながら、ガッツリと話を聞いていた親父。たまごと石けんとバクダンを、ひとつずつそれぞれの皿に取り、またカウンター越しからお客に手渡すと、生きていたら、と言う仮定から、すでに生きている前提で話を進める。第三者ゆえ、親父の質問は遠慮がない。
「隠すとしたら理由なんてそれくらいか。本当にこの世からいないなら、堂々と確認させてやればいいだけだし。外出もさせず、確かめもさせず、他の奴と結婚すれば自由にしていいってことは、要はふたりは生きてますって言っているようなもんだ」
気のない素振りで話す阿久津と、段々その気になる親父。探偵、もしくは近所のおばちゃんの井戸端会議。話しを深く掘り込んで来る。
「いや、それだけじゃありませんぜ。殺人犯とかとんでもなく悪い奴で、悪行を知らせたくないとか。そんなに悪い奴だったんですかね?真弓さんのご主人」
内容に興味があるのか?阿久津を乗せる為なのか?前のめりで話しかけ、ニヤッと悪い顔をする。営業中常にテレビを付けっぱなしのラーメン屋は、自身の想像力を発揮した。
「いや、隠しているかもしれないっていうのは『かも』だから。あくまで例えね、例え」
親父のノリに気おされる阿久津。ノリノリ親父にとって、そんな事はさして問題では無いらしい。
「それだけとは限りませんよ。実は兄妹で道ならぬ恋だった。子供が旦那か真弓さんの実の子じゃない。真弓さんが早川さんの本当の娘じゃない。実は真弓さんは双子で他にも真弓さんがいる。実は旦那さんは宇宙人だった。実は未来から来た人だった。実は前世が赤穂浪士だった!」
唖然とする阿久津と惺を置いてけぼりに、親父は独自路線を突き進む。テレビの影響力ゆえか、ワイドショーやドラマの先読みする如く、無茶な妄想を展開した。

そんな大人たちを余所にして、高貴は黙々とラーメンを食べ、延々テレビを見続ける。画面は役人たちを映し出し、惺が見ても面白く無い内容である。
「っていうか、高貴。お前そんな内容でも面白い?」
惺は、高貴の夢中さを、理解出来ずに聞いてみた。
「見たってだけでも違うんだよ」
顔を画面に向けたまま、返事だけを返して来る。
惺がテレビを買わない理由の一つに、時間泥棒の意味がある。が、こうも夢中な高貴を見ると、逆に買って慣らすかと、時折迷う事がある。
「ああ、そういや黒田の友達にそういう奴がいるっていってたっけ。厚労省になんか新しい課が出来るとか」
惺の思いとは別に、親父から逃げたい阿久津が、こっちの話に参加しようと試みる。
「へ~」
唐突な話しに興味も無く、惺も返事のしようがない。
「で、しつこい人が来てるって。先生紹介してくれってさ」
阿久津の言う『先生』とは惺の師匠のことを指す。
「ああ、そりゃ無理だ」
惺の返事は速攻だ。
追いつめられているとはいえ、阿久津自身で当たり前の答えしか返ってこない事が分かっていながら、無駄な話題を振っている。お陰で惺も即答しか出来ないでいる。
「お前何とかしてやれよ」
「無理」
阿久津自身もその理由は心得ている。我ながら無理過ぎたことを、ちゃんと自覚している。

当然訪れる沈黙と、カウンター越しにうずうずしている親父のはざまで、阿久津は新たな道を模索した。どんぶりの中身は空である。テレビは変わらずニュースであり、惺の態度は我関せず。仕返し、または知らんぷり的な惺に対し、逆境の阿久津は、ふとあることを思い付く。
「まぁ生死に関しちゃ戸籍だな。真弓さんから委任状は貰えるだろうけど、ややこしい事になると面倒だし…ここはひとつ黒田弁護士に相談してみるか」
「おい!」
阿久津の提案に対し、惺は露骨な顔をする。
「ほ〜黒田さんって方、弁護士なんで」
「そう。先生が世話している弁護士のひとり」
惺が苦手な相手でもある。親父の質問に、阿久津が喜んで返事をすると
「勘弁してくれよ」
急に脱力する惺に、阿久津は機嫌が良くなった。
「別にお前が相手しなきゃいいだろ?」
惺をそう納得させると、阿久津は内心、親父からの脱出に安堵する。

親父はテーブル客に、追加のおでんと焼酎を渡し、惺たちのコップに追加の水を注ぎ入れる。

引き受けた

「よし、わかった」
阿久津にも、探偵まで引き受けた事情は大方理解した。ただ、もうひとつ納得出来ない点が残っている。

「にしても真弓さんの件、あんなグダグダだったのに、何やる気出してんだよ。さっきも言ったが、早川さんに対して嘘つくってことは、下手すると…」
阿久津の質問を兼ねた注意に、惺は少々ふて腐れながら
「べつにやる気は出ねーけど…仕方ねーだろ、あんな約束されちゃ」
喫茶店を見つけた後、惺と真弓の様子から、阿久津はしばらく近くの席で、ふたりの会話を聞いていた。阿久津は真弓の言葉を思い出す。
「俺らが工場を助けるって言ったって、出来ることと言えば、単純に着物を作ること。関わるのも、せいぜい真弓さんが結婚するまでの間だけ。だが真弓さんは、自由時間を作るため、ただそれだけのために、この先一生、工場に対する責任を、工場で働く人達を守るって、成り行きとはいえ、俺が約束をさせたちまった。真弓さんが元々そのつもりだったにしろ、結果的に俺が言わせて約束までさせたなら、俺も仕事失うくらいの覚悟はしないと、真弓さんに対して立つ瀬無くないか?」
惺は、阿久津が反論出来ないことを承知の上で説明した。やはり依頼者との必要以上の接触はするもんじゃ無い。と阿久津は改めて痛感する。

今回は自分のせいで、惺を巻き込んだことに変わり無く、自分に責任があることを阿久津自身が自覚している。ただ阿久津としては、惺が普通に依頼を受けて、普通に仕事をしてくれれば、それで全て丸く収まる筈だったのだ。
(それが何処をどうすれば、こんな事になるのやら)

分かっているはずだったのに、と阿久津は自戒と共に溜息を付く。カバンからメモを取り出すと、捜査手順を整理する。

「じゃあ、詳しいことは真弓さんに直接聞くとして、元旦那関係の調査と早川家関係の聞き込みと」阿久津の中ではすでに捜索プランを立て始めているようである。
いつもの2人になった様子を確認すると、親父は高貴に笑いかけ、高貴もニカっと合図する。
「そんだけ言うからには、もう何描くか決めてんだろうな?」
追加の水で締める惺に、阿久津も覚悟を決めたように、今後の作業確認をした。

2人の写真

早川は自室の電話で弁護士の久谷と話している。
12畳ほどの和室。床の間を背に座椅子に座り、文机には黒電話を置いている。
「兄には真弓は無事見つかったと、妹には上手く言っておいてくれ」
それだけ伝えて受話器を置くと、次に下座で真弓と共に待機している、従者の松崎に説明を聞く。
「お嬢様が、出掛けると仰いますので、旦那様に確認しようとしたところ、昨日決まった事だから確認は不要だと。私もご一緒することですし、待ち合わせ場所へお連れすると、現地にいらした方は、確かに昨日お会いした方でしたので、大丈夫だろうと思っておりました」
大きな体を縮めて、終始恐縮する松崎に、早川は、以後気をつけるよう、とだけ伝えると、真弓とふたりになるため、松崎に席を外させた。
「全くお前と言う奴は」
早川は、溜息の理由を言葉にすると、昼間に阿久津から聞く、今日の話しを思い出す。『真弓さんから両者へ電話が来たのは昨日の夜。しかし自分には時間をずらし、場所も指定せず伝えた上で、作家のみを先に呼び出し、別の場所で待ち合わせた』とのこと。真弓は料亭で、いちど席を外している。電話があったのは昨日の夜。丁度料亭に居た時間、席を外した時に架けたのだろうと理解する。当日は松崎を住者にし、作家の本人確認をさせると、駐車場で待つよう指示をする。つまり、松崎を不在にした上、安心させて時間稼ぎに使ったと。
真弓は相も変わらず無表情で、能面の中を覗かせない。ただこの結婚に、何か考えがあることは、早川も以前から気がついている。今回バレる事は、最初から覚悟をしての事だろう、と早川は真弓の行動を解釈した。
「製作現場への出入りを禁じられてもいいのか?」
早川の問いかけに、真弓は何も答えない。
「今後このような事が有れば、一切の外出を禁止にする。結婚もしなくていい。わかったな」
早川の通告に、真弓は軽くお辞儀をすると、早川の自室から出て行った。
(真弓はここ数年、大人しかった)
早川が覚えている限り、真弓はここ2、3年、一緒に外へ連れ出しても、特に何も起きなかった。連れ戻してから5年。起きたとすれば婚約。言いなりの真弓が意思を示す。
(何もないはずがない、か)
早川は、重い受話器を再び手に取り、ダイヤルを7度回して応答を待つ。
「早川と申します。井荻君を」

早川邸は平家の日本家屋のため、全ての部屋が和室である。真弓は早川の部屋から、広縁を通りふたつ先にある自室に戻ると、自分の背の高さほどある桐の箪笥を観音に開く。着物を収めた引き出しの、たとう紙の合間に隠した、白い大き目の封筒を探し出す。糊で閉じない明け口から、更に中に入れた茶封筒から、2枚の写真を取り出した。白黒の1枚は、青年がウエストから上、赤ちゃんを抱っこした様子を写し、もう1枚は、赤ちゃんのみ全面に撮れている。
真弓は思う。今日この写真を見つめていても、不思議と涙は流れない。それが今日のみのことなのか、これから先もそうなのか、今の自分には分からない、と。
(それでも、先に進めるなら)
古びた写真を、別の封筒に入れ直すと、胸元に大切に仕舞い込む。
まだ日が落ちぬ空に浮かぶ月を見つけて、ただ今日と言う日を喜んだ。

何処から始めるか?

惺たち3人、ラーメン屋を出て、歩きながら打ち合わせをする。
夜、道なりに八百屋と金物屋と花屋が並び、道路を隔てた反対側の肉屋から、揚げ物の旨そうな匂いがする。
「じゃあ表向きには、惺が絵を描かないとダメってことで通すから、高貴も打ち合わせの時、早川さんや婚約者に会っても、内緒にな」
阿久津は高貴に約束するよう、手の平で頭をポンとする。
「わかった!」
秘密の共有が嬉しい高貴は、気合を入れて頷いた。
「でも見つかるかな。探偵に頼むのは駄目なの?」
確実な線を突く高貴。
「真弓さんの希望は、自分が納得するように調べたいってことだし、興信所で探すとしても、報告をどう受けるかで、色々面倒も増えるしな。当面は内輪で調べて、それでも分からない、納得出来ない、ってことになった時は、頼むことになるかもな」
「そっかぁ」
高貴は惺の説明を受け入れる。そこで阿久津は、ふと気になることを思い出す。
「惺。お前さっき、喫茶店で真弓さんから話聞いた時、一度断ったって言ってたよな。もし、真弓さんがそのまま依頼取り下げてたら、お前、どうするつもりだった?」
阿久津の質問に、惺はしばらく考えて
「勿論、そのまま全部話すだろ」
と、平然と阿久津のことを指さした。
要するに惺は、自分が真弓さんの依頼を断っても、工場は阿久津がなんとかするだろうと、最初から踏んで断った。つまり真弓さんの返答次第では
(コイツ全部、俺に押し付ける気でいやがった)
と、阿久津はそう解釈した。

駅前に続く大通りへ交差する十字路へ出て、そこで阿久津は惺と高貴と別れて、ひとりで駅へ向かう。オレンジ色の街灯が、日中見える色彩からは想像だに出来ない奇妙な色に染めている。
惺の特殊な性分が、特殊な依頼を引き寄せるのか。普通で済む筈の依頼まで、妙な理屈でねじ曲げて、ややこしくする惺がダメなのか。いやもう、考えることすら無駄だろう。阿久津はそう結論付けると、鞄の中、捜索準備をするべく、名刺入れを探していた。

 

状況報告1

惺が色打掛の制作依頼を、正式に引き受けたことにより、真弓と井荻の婚約が決定。その旨を早川から、親族及び関係者に対し公式に通達する。約15日後、捜索に関わる必要書類の到着に伴い、阿久津は早川にデザイン画完成と連絡。初の製作現場見学会である。その際、早川から真弓を自家用車で直接アパートまで送ること、運転手も同行すること知らされる。しかし阿久津は、真弓とは駅で落ち合い、車は戻って頂くよう提案した。早川は少々戸惑うが、アパート近くの道路は、車が入れるほど整備が施されておらず、駐車場もないため、路上駐車しかないことを説明すると、素直に提案を了承する。

当日。

真弓は従者と車を降りて、駅の入り口で待っていた。従者は阿久津に笑顔で会釈をすると、真弓を阿久津に託し、ふたりの姿が消えるのを、その場を動かず見届ける。『真弓の身辺に、早川関係者が居ない時間を作ること』。捜査と報告を行うための、前提になる課題である。だが喫茶店の日から今日までの間、阿久津は真弓と一度も話すことが出来ずにいた。
(捜索と言う性質上、ただでさえ知りたくも無いことも、知らせたく無いこともあるってのに。これで早川さんと井荻さんのどちらかが一緒に付いて来れば、その日は一日無駄になる)
今日は運良く、早川井荻の両名同伴を遠慮した。なら今のうちに、今後の報告様式の説明のほか、真弓自身に確認しておきたいことがある。と、阿久津は効率優先に考えた。9月を過ぎたというにまだ暑く、セミは終わりを忘れたように鳴いている。真弓は着物屋であるこちらに合わせ、今日も和服で日傘をさして付いて来る。草履で砂利道を歩かせることを、少々心苦しく思いつつ、阿久津は喫茶店の日、わずかに真弓の表情が変化したことを思い出す。だが
(伝えることは伝える)
これから言い難いことを言うために、自分の表情が見えないよう、真弓の斜め前を確保して
「まず」
と話を切り出した。
「捜索するにあたり、書類上の確認をするため、先日お預かりした書類を基に、役所と療養所に問い合わせを行いました。ですが、ここで少々手こずりまして…。今日まで時間がかかりました。が、真弓さん」
盛りを過ぎたセミ達が最後の声を響かせる。阿久津はらしくなく一瞬言葉をためらうと、セミにまぎれて言い渡す。
「ご主人と籍を、入れていなかったんですか?」
真弓は、阿久津の声を聞き逃すことなく受け止める。自分の声がセミ達の声で消されぬよう、静まった頃を見計らい、小さな声で返事した。
「はい」
阿久津はか細い声を確認すると、歩みを止める事無く、先の話を再開する。
「直系以外の第三者が戸籍謄本を取得するには、本人の委任状、または正当な理由が必要になります。早川家は専任の弁護士がおられますが、力を借りれば捜索自体がバレてしまう。なので今回、私の知り合いの弁護士から、ご主人様とお子様の戸籍謄本取得と、療養所への記録確認を依頼しました」
まだ暑い時間、日差しがキツく照り付ける。真弓の歩幅にあわせるよう、阿久津はゆっくりと歩いている。ふたりの砂利を踏みしめる音が、住宅街に響いている。感情をコントロールすることは難しい。出来ないなら無視する方が簡単だと阿久津は思う。
「前回の打ち合わせで、アパートに訪問するのが真弓さん1人とは限らないとなりました。本日は真弓さんひとりのため報告する事が出来ますが、この先場合によっては何も報告出来ない日もあるでしょう。また、急を要する事柄で真弓さんの了解を得ず、対処する必要がある事柄も出てくることと思われます。それらを含めて、今後は状況にあわせて臨機応変に対応させて頂く。ということで、問題ありませんか?」
そこまで言うと、阿久津は覚悟して斜めうしろの真弓を振りかえる。あわせてセミも声を出す。先ほどの場所から遠い分、音量は多少下がっている。
正面に見る真弓の目は、逃げることなく阿久津の目を真っすぐ据える。
「はい、よろしくお願い致します」
今度はセミが鳴きやむ前に、真弓は頭を下げて承諾した。

いつもより長い時間をかけて惺のアパートに到着する。木造2階建ての1階に5室、2階5室、1階の真ん中3号室。阿久津は目的の場所を確認すると、気持ちを切り替えるべく姿勢を正し、勢いよくドアをノックした。しかし誰も出てこない。更に続けてノックする。が、やはり誰も出て来ない。
「なんだ、誰も居ないのか。じゃあ大家さんの所か?」
阿久津が大家さんの部屋、1号室に向かう中、真弓はアパートを観察する。
2階へ進む外階段は、塗装の所々が剥げている。ドアの前のみコンクリートで土台を固められているが、階段下は雑草が生えた、それこそ土のままである。3号室ドアの隣は部屋が無く窪んでおり、水場になっていることが見て判る。察するところ、奥には共同トイレがあるのだろうと推察した。

つくづく観察を続ける真弓を気にせず、阿久津は大家さんの部屋のドアを叩こうとした。その時
「あれっ!」
膨れっつらをした小学生が、アパート敷地に接した路上で突っ立っている。背中にランドセルは無く、手にはパン耳が詰まった袋を持ち、口を開けて驚いたままの表情で、その場で動けず固まっている。
「おお、高貴帰ったか。惺はどこだ?」
阿久津は固まったままの小学生、高貴を見つけると、直ぐに惺の居場所を聞いた。だが当の高貴は
「阿久津さん? え、なん、で」
状況に対応出来ず、驚いて目を丸くして、ただ今の状況に困惑している。高貴としては、阿久津がここにいることにも驚いたのだが、高貴が本当におどろいたのは…。
「シャツ似合うじゃねーか、ってか何怒ってんだ?」
高貴は、今日アパートで打ち合わせがある、と言うことは知っていた。しかしこっちでやるとは思わず、単純に油断していたのである。というか
(阿久津さんと一緒に居る女の人。あの能面の?)
不測の事態に驚きを越し、阿久津の質問にも訳もわからず返事をする。
「そうだよ!着てったんだよ。今日シャツ着て学校行ったら、タケ口聞いてくんないから、ひょとっとしたらおれがシャツ着てるの気にくわなかったのかもってシャツ返そうと思って、タケの、鬼島さん家行ったんだよ。そしたら惺の奴、まだバス代返してないって言われて、すげー恥ずかしかったんだよ。鬼島さんには笑われるし、タケにもシャツいらねーって言われるし、もう、訳わかんねーよ!」
声に出していい部分を、感情のままにぶつけると、膨れっ面を更に赤くして、最初に驚いたこととは別の理由で怒っていた。
(何だよ、能面って聞いたからオカメのお面みたいな人かと思ってたのに!しかもよりにもよって、おれこのシャツ着てる日じゃんか)
「いやコッチも訳わかんねーぞ」
高貴の態度から要するに、惺はあっちのアパートに居るんだろうと阿久津は察知する。で、今の状況に対し、高貴が収まるのを待つか?それとも別宅へ行くか?と流れを考えた。そんな様子を見ていた真弓は
「この子は?」
と、何気なく紹介を求める。
「ああ。惺が預かっている子で、弟弟子の高貴(こうき)です」
阿久津は高貴の無作法な態度のフォローもせず、さらっと高貴を紹介した。
真弓もそんな高貴に対し頭を下げ、上げた瞬間目が会うと、わずかな笑顔を向けられた。高貴は面食らって、顔を真っ赤にしたまま、力いっぱいお辞儀する。
「親が病気で亡くなってから、親戚の所へ預けられて。先生に弟子入りした後、学校が遠いのと、同年代の子供が近くに居ないんで、惺のアパートの方が、なにかと都合がいいとか」
阿久津の説明を聞き、真弓が
「病気…」
と呟いた。高貴はハッと我に帰り、本来の目的を思い出す。
「もう死んじゃったけどね。惺なら今日仕事場の方だぞ、おれ呼びに行くから」
この気恥ずかしさと怒りの原因。高貴は惺に抗議するべく向かおうとした。だが
「いや、俺が行くから、お前真弓さん部屋に入れて待ってろ」
と、阿久津に止められ、高貴は不測の事態に突入する。

パン耳揚げパン

阿久津が惺のアトリエ、と言う名の仕事場まで迎えに行く間、高貴は軽くパニック状態に陥っていた。
(何が能面だ、笑うじゃん。っておれ笑われた? しかもこのシャツ、これのせいか!)
何と言うタイミングの悪さだろう。と高貴は思った。惺から来るとは聞いてた。ただ依頼者や仕事関係の来客は、必ず向こうに呼んでいた。完全に油断して、今日はひとりだと思い、パン耳とジャムで過ごそうと考えていた。
阿久津が去り、ふたりきりになり、高貴はどうしたらいいか分からないでいると、真弓から高貴に話しかける。高貴からパン耳が今日のご飯で、明日のおやつにもなると聞き、真弓はサラダ油の有無を質問をする。更にこれからしたいことを高貴から了承を得ると、着物の袖を紐でたすき掛けにし、台所でパン耳を揚げ出した。
半畳の板の間に、ガス台と石の炊事場があり、ふたりは立てない。熱がこもらないよう前面の小窓を開けて風を通す。わずかな油の泡立つ音と、換気扇が回る音。着物の明るい色が、暗い炊事場を占領する。
(油がはねると危ないって言ったのに。惺もすぐ帰るからって言ったのに)
真弓の頼みにダメだと言えず、惺に何と言おうか考える。惺を怒るつもりが、自分が叱られるかも知れない。
(けど…)
真弓は後ろ姿ではあるが、明らかに楽しそうだと高貴には分かる。止めることも出来ず、ただどうしようかとうろたえ、湧き上がる感情をこの場にいない惺に対し、心で八つ当たりを繰り返す。
(惺の嘘つき! 嘘じゃなくて違うかもしれないけど、コレ絶対反則じゃんか!)
すると
「お前、お客さんに何させてんだ?」
ようやく惺が戻ると、玄関から横の台所に向かい、ひょっこりと顔を出す。さっきまでの怒りはどこへやら。高貴は惺の姿を見るなりホッとする。
「だって、作りたいっていうから…」
続いて、阿久津も惺の頭の上から顔を出す。
「おお、いい匂いだ」
高貴は援軍の到着に安心した。
ふたりが戻って来たと気付き、真弓は手を止めると
「すみません、私が高貴さんにお願いしました」
と説明する。
「高貴じゃないのか?」
惺と阿久津が高貴を見ると、高貴は大きく2度頷く。
更に真弓は高貴の正しさを証明するように
「あと、きな粉はありますか?」
追加要求を願い出た。

6畳にちゃぶ台、箪笥がふたつとマットレス。そこに大人三人と子供が座ると、やはりどうにも狭苦しい。高貴がいつもの部屋の端に置くマットレスに座り、3人がちゃぶ台を囲む事でそれぞれの場所を確保した。そこへ真弓が作った揚げパンを出し、打ち合わせ前に、軽く試食会になる。
「主人と一緒だった頃、近所のパン屋さんから無料でパン耳を頂いていたんです。その頃の食事はこんな感じでしたから。それにこのアパートも似ていて、とても懐かしいです」
麦茶のポットを手に取り、それぞれのグラスに注ぎながら、しみじみと真弓は懐かしむ。じつの所、真弓から願われたとはいえ、惺も阿久津もこんなおんぼろアパートにお嬢様を呼び出していいものだろうかと迷っていた。しかしふたりの心配をよそに、真弓の表情は柔らかく、むしろ能面を思い出せない。
「へ~、ウチもやってみるかな」
阿久津も揚げパンを一つ手に取ると、表、裏と観察する。
「パン耳を揚げて砂糖をまぶし、きな粉を振るだけです。グラニュー糖があればそれで、無ければ砂糖で。今日はきな粉にしましたが、シナモンもいいです。他にはパン耳をフレンチトーストにしたり、パン粉にしたり、ガーリックバターでラスクにしたり」
「でもシミが」
惺は、そう続ける真弓の袖に、小さく出来た油シミを見つけて指を挿す。
「おれが直してやるよ!」
と、大分冷静になった高貴が言うと、名誉挽回に立候補する。惺にポコンと小突かれる。
「今は着替えが無いだろ。次来るとき着物を持って来て頂いて、その時に」
惺は高貴に、叱ると言うより、説得をする。
「どうかお気遣いなく。それより久しぶりに台所ができて、とても楽しかったです。我がままを聞いて頂いて、有難うございました」
真弓は穏やかな笑顔で、ゆっくりとお礼を述べると頭を下げる。阿久津は、真弓の軟化は恐らく、高貴の境遇が、お子さんのそれと似ているからだろうと予測する。惺は今の真弓からして、ご主人との生活は、幸せなものだったのだろうと。真弓さんには、大切なものの行方を知る権利がある、と考えた。

戸籍の結果

「と言う事で」
阿久津は手についた砂糖を払うと、予定外のコーナーから本題へと誘導。ちゃぶ台の上を濡布巾で拭くと、丁重に書類を置く。送られて来た封筒2通。それぞれに同封された手紙。他に除籍謄本1通。書類を前に、僅かに緊張する面々。
「まずこちらはご主人、貝塚幹夫さんの除籍謄本です」
阿久津の言葉に一瞬、僅かに肩が動く真弓。
「除籍謄本、戸籍じゃなくて?」
高貴は聞きなれない言葉に質問すると、惺から目配せされて引き下がり、阿久津はそのまま説明を進める。
「まずは戸籍の確認の為、駆け落ち中の住所所在地の担当役所に問い合わせをしました。が、残念ながらそこには貝塚さんの戸籍はありませんでした。その為、貝塚さんがいたと分かる確実な住所、つまり療養先に登録されていた住所地の役所に問い合わせをします。そこにご主人、貝塚幹夫さんの戸籍が存在し、取得したのがこの除籍謄本です」
真弓はその書類の中のただ一点を見つめている。
「除籍謄本とは、戸籍の書類の一種で
正式には除籍全部事項証明書、除籍謄本と言います。戸籍には戸籍と除籍の2種、更に個人用の抄本、戸全員用の謄本の2種。その組み合わせで計4種あり
戸籍を持つ人がひとりでも存在する場合を戸籍。戸籍を持つ人が誰もいなくなっている場合を除籍と呼びます。抄本は個人一人分の証明書、謄本は戸主と配偶者、及び未婚の子供の全員分の証明書となります」
高貴はもう質問をしなかった。
「つまり除籍イコール籍を持つ者が存在しない。謄本イコール戸主と配偶者、及び未婚の子供の全員分を証明するものです」
惺はただ黙って聞いている。
「除籍の理由は幾つかありますが、貝塚幹夫さんが戸主の謄本でありながら、真弓さんやお子様の記録がありません。その為、残念ですが今回お子様の戸籍の確認はできませんでした」
高貴の顔色が変わる。真弓は身体を硬らせる。
「そして、ご主人様に関してですが」
阿久津は真弓の前に改めて書類を差し出すと、真弓が見つめていた一点を指差しし、真弓に確認を促した。

「ご主人のお名前で、間違いありませんか?」

貝塚幹夫、〇月〇日 死亡 届け出提出○○○○

「はい、間違いございません」
阿久津にも真弓が涙目になるのが見て分かる。残酷な現実でも知らないよりはマシなんだろうが、聴くだけの惺も素直に辛い。
「主人と籍を入れなかったのは、私が早川から籍を抜くには、転籍理由と次の住所を記載する必要があったためです。当時父は、主人が誰かも判っていなかったと思いますし、入籍で住所変更をすれば、そこから現住所が分かってしまいます。でも、子供の籍に関しては、主人からは、自分の子供で登録したと聞いておりました。ただ私自身は書類確認をしておりません」
真弓は震える声で説明した。
「…承知しました」
嫌な役だと、阿久津は思う。
「子供を預けたと言う親戚と、真弓さんは会った事はありますか?」
出来るだけ穏やかに、これ以上刺激しないよう、惺は真弓に質問した。
「預ける前に主人と一緒に会い、直接子供をお預けしました。手紙も毎週出して、返事も時折頂いておりました」
当時の手紙を差し出す真弓。阿久津が受け取り名前と住所を確認する。
「今回取得した謄本は、貝塚幹夫さんが戸主のもので、これだけでは親族全員分の確認は出来ません。しかしその謄本には、ご主人様の出生地と戸主になる前の前戸住所と戸主が記載されています。それに診療所にも記録が残っているようですので、そこから何か他の手がかりを見つけられる可能性があります」
阿久津はそう言うと惺に意見を求めた。
「どうする?」
「除籍に記載されている、届け出人にあたってみるか」
除籍とは言え、ご主人に関して少しでも情報があれば、真弓さんの気持ちも少しは違うだろうと惺には思えた。
「そうだな、診療所にも行って見せて貰える書類があれば…」
阿久津も協力的である。惺に意見を求めたことも、除籍だから何もしない、とは言いたくないらしい。と、少なくとも惺にはそう見受けられたのだ。
(真弓さんは父親から、ただ「死んだ」とだけ告げられたことに納得出来ず、今回の依頼に至った。なら)
涙を溜めて俯く真弓。体育座りで真顔の高貴。
惺は今一度以来の根本を確認し、コッチを見ている阿久津に小さく頷いた。
★結論
「ではまず、今回の調査は書類確認として調べた事と、知り合いまた聞きの弁護士に頼んだ事も有りますので、調査内容にあまり融通も利かず、詳しい事まではわかりません。その上でご主人様について、書類上では亡くなっている事が証明されましたが、この後の捜索、いかがなさいますか?」
便宜上真弓に聞いてはいるが、ふたりの答えは決まっている。真弓は落としていた顔を上げ、話し出す。
「もし、よろしければ、調べてわかる事は全て知りたいです。あともうひとつ、もし主人のお墓があるのでしたら、私がお墓参りに行けない場合、せめてお花だけでも届けて頂けないでしょうか?」
真弓の答えはふたりの期待と同じであった。
「かしこまりました」
快諾する惺と阿久津に、真弓は深くお辞儀をする。
「次にお子様の戸籍について、早川さんから亡くなっている旨を伺っているとの事でしたが、書類上亡くなっている事を証明出来るものがありません。更にお子様の場合、現段階では戸籍自体が存在しないため、確認出来るのはここまでです。ただし、ご主人様の方に、まだ追跡する価値のある素材が残っております。断定は出来ませんが、ご主人の記録を辿れば、おのずとお子様に関する手がかりが何かわかる可能性がある、と考えられます」
すると真弓は手提げではなく胸元から封筒を取り出すと、中から写真を二枚差し出した。丸々とした赤ちゃんの1枚と、赤ちゃんを抱いて笑顔を向ける男性の1枚。どう見ても幸せにしか見えない2枚の写真。
「私が持つ、あの子の手掛かりです。お手数をお掛けしますが、どうか何卒宜しくお願い致します」
阿久津は大切な宝物を丁重に受け取り、真弓は三つ指を付き、再び深々とお辞儀をする。真弓がこの写真を写した時、どんな顔をしていたのだろうと惺は思った。

デザイン案

「と言う事で、やらなきゃイケナイ話しはここまで」
阿久津がいきなり調子を変えて、無理矢理明るい振る舞いをする。
「っつー事で本日のメインイベント。惺、そろそろ出してみろよ」
ほれほれ、とでも言わんばかりに、重苦しい雰囲気を切り替えるため、惺にバトンタッチした。気持ちを切り替えたいのはよく判る。と惺は思う。このところ阿久津は忙しく、何でもいいという依頼のため、今回限り、どんなデザインなのかを事前に知らないでいる。足して惺が散々文句と愚痴を垂れていた依頼に対し、一体どんなデザインにしたのかと、想像が付かずに気になるのだ。自分の役目を終え、他人ごとを冷やかす様にニヤニヤしながら待機する。高貴も先程まで大人しくしていたが、ここぞとばかりに身を乗り出す。実は高貴も、今回のデザイン原案を今まで1度も見た事が無い。惺が悩んでいる場面にはずっと遭遇して来たが、実際に描いている姿は最後まで確認できず、今日を楽しみにしていたのである。真弓も、空元気を装う阿久津や、前のめりの高貴に同調し、今一度体裁を整え、惺にキチンと向き合い背筋を伸ばす。6個の目が惺に向くと、どれもが期待に溢れていた。

そんな目を見る度、惺は毎度思い出すのだ。
ガッカリした顔、悲しい目、怒りの顔、蔑む目。

(真弓さんは仕方ないとして、俺が期待に応えられない作家だって、あいつら毎度忘れてないか?)
惺はそんなことを思いつつ、一つ深呼吸をして、持って来たスケッチを取り出すと、ちゃぶ台の上にポンと乗せた。

 

 

空白の時間がどのくらい続いたのだろうか?
「おい」
と、阿久津が言った。
続けて
「冗談も大概にしろよ?」
とも言う。
「全然、本気でこれ」
惺はある意味平然と答えた。
「は…」
唖然とする阿久津と高貴。
真弓も流石に目を丸くしている。
「名付けて「般若心妙」とでも付けようかと」
惺自身意味の分からないことを言うと、なんだか偉そうに腕組みをした。
「なんっじゃこりゃ~っ!」
大声で叫ぶ阿久津。
「有り得ない、着物もへったくれも無い」
「てか友禅舐めとんのか、お前?」
阿久津と高貴が交互に騒ぐ。
「ってかこれ、このシャツのマネ、完璧マネだろ!」
高貴が今自身の着ているシャツを片手で広げて指をさす。
「マネ? 人聞きの悪い事を言うな。異画風をリスペクトをしたアレンジだ」
全く否定する気のない惺。それどころか確信犯とも思える発言をする。
「有り得ない、信じられない、アレンジって何が、デザインって一体」
困惑する高貴に
「これが作家ものの着物って、これでいくら取るつもりなんっ!!詐欺罪で訴えられるレベルでこれは酷い!」
営業的に攻めて来る阿久津は
「お前、作家人生最後の作品にするつもりか?」
と惺の狙いの核心をつく。正直、惺はデザインとして本気で考え抜いた末の結果でしかなく、現時点で考えうる最大限の配慮をしてコレの為、阿久津や高貴がそう言うなら、実際それまでの事なんだろうと、惺自身が思っている。何より描いている際、自分でも自分の本心を疑った。
(俺、大丈夫か?)
と。しかしコレ以外に考えられなかったのだ。
「これじゃただの嫌がらせだ、これでお金取るって俺のシャツより酷い!」
と言われるのも仕方ないと、惺自身が重々分かっている。
「大体、真弓さんだって嫌でしょ、こんなの」
高貴が真弓に意見を希望。たしかにコレは真弓の着物で、それは正しい認識だ、と阿久津も思った。真弓は今まで目を丸くして、デザイン案と、惺と阿久津と高貴のやり取りを見ていたが、話を振られてようやく、自分の言葉を話し始めた。
「これ、般若…ですか」
多分真弓は、三押の着物を想像していたのだろう、と惺は思う。
「はい」
惺はそれでも、こう描いたことは、むしろ正しいと思っている。
「でも同じ般若、というより随分と可愛らしい」
真弓は戸惑いながら、素直な印象を惺に伝えた。
「般若にピンと来たと仰っていたので。ただ私から見る限り、鬼の面としての般若とは何か違う気がしたので」
「鬼じゃない?」
真弓は惺の言葉の意味を問う。
「鬼は自分以外の不幸を喜びにする、でも真弓さん。貴方はそんな事は望んでいない、ですよね?」
真面目な顔で答える惺の、返事は真弓を唖然とさせた。
デザインに、そんな理由が必要だと考えたことが無かったためである。
「にしてもこれなないだろ!せめてもうちょっとカッコイイとか、迫力あるとか、綺麗だとか派手だは無理だとしても、なんか分らんけどスゲーとか」
横から阿久津がチャチャを入れる。でも、その内容も真弓を驚かせた。
阿久津もその理由を、当然として受け止めているのだ。
「それにこのデザインなら絵だけなら2週間? 1ヶ月もいらないから、打ち合わせの理由をどうすんだよ」
「ん〜」
阿久津の突っ込みは別方向に移動した。
「いくら惺が怠け者でも、ここまでボッタクリは」
高貴のヨコシマな心を指摘するあられもないコメントも、その部分には触れられていない。柄の意味、着る人の心、見る側の解釈。この世にただ一枚の着物を作る為に。
「ボッタクリ言うな、美味しいと言え」
「じゃあやっぱり手抜き?」
「だから違う言ってるだろ」
散々な事を言う阿久津と高貴に、本気で対抗する惺。それが真弓には言い訳には聞こえない。以前喫茶店にて作家としてのあり方を惺から聞いているからだろうか、と真弓はあの時の惺の言葉を思い出す。
「…っふ。うふふっ、ふっ…あはは」
真弓は堪えていた笑いを耐え切れず、お腹を抱えて笑い出す。そんな真弓に惺と阿久津は驚き、高貴は真弓を不思議に思う。真弓はひとしきり笑うと、高貴に対し質問をした。
「そのシャツ、高貴さんのですか?」
目に溜めた涙をハンカチで拭う真弓。今は堪えなくてもいいと思う。
「違うけど、そう」
真弓の質問を不思議に思いながら、シャツを着たままなことを、高貴は今更気がついた。
「今、そういう柄が流行っているんですか?」
普通に笑顔になる真弓。
「ぜ、ぜんっ然流行ってない!むしろ馬鹿にされて、笑われる」
何も知らない真弓に嘘は教えられない。高貴は誠実に答えた。
「それなのにどうして着るの?」
真弓は笑顔のまま真剣に聞く。高貴は真弓の聞きたい事に対し、できるだけ正しく答える。例えいい加減の様な答えでも
「それには成り行きっていうか、深い事情が」
説明するには長くなるし、要約を直ぐに思いつくなんて事は出来そうにもない。と、高貴は真弓に言おうとした。しかし真弓はその前に
「じゃあ、お揃いね」
と、自分の答えを出す。

…はっとする高貴。

何かに気が付く惺。

そして惺に対して向き合うと
「こちらのデザインで問題ありません。宜しくお願いいたします」
真弓は正式に、屈託ない笑顔で受諾した。
「嘘でしょ…?」
と高貴。
惺は無言のまま動じず
「真面目にですか?」
阿久津は神妙な面持ちで、真弓に真意を問うて来た。
「はい、本気です。モチーフが怪物であれば何でもいいと言ったのは私ですが、それ以上の結果と答えを十分頂けました。ですので、こちらのデザインでお願いさせて頂きたく思います」
と言うと、真弓は楽しそうに笑っていた。

「いや、いや、いやちょっとまて!!」
と、阿久津がストップをかける。
「でもこれは流石に、早川さんや井荻さんが何と言うか」
いくら何でも良いと言っても、大企業のオーナーの娘が、結婚式と言う大舞台で、体面ってものがあるだろうにと阿久津は真弓を説得する。しかしそれも真弓は
「何も問題ありません」
と、あっさり却下。
それでも今引き下がれば、何のための営業か?と、阿久津は今自分が考えうる苦肉の策を提案する。
「じゃあいっそ引き振袖にしませんか」
「引き振袖?」
「打ち掛けでは、ほぼ婚礼にしか使えませんが、引き振袖は、結婚後に袖を切ることで留袖にも変更出来る、リサイクル可能の優れものです!」
そう言う阿久津の笑顔は、本人でも判るぐらいに引きつっている。
「魂胆丸見え。大体帯で真ん中隠したら、このデザイン自体意味が無くなる」
無情な惺の感想に
(だからそれが目的なんだよ!)
と、阿久津は心の中で罵った。しかし惺は
「というか、このデザインは真弓さんだからいいようなものの、どこの誰の式典に礼服として着させるつもりだ?」
と、自分のデザインを自分で完全否定した。つまり
「お前が言うな!」
と、阿久津は本音で怒りの突っ込みをする。
阿久津は今頃、真弓が惺の期待以上のファンキーだったと理解すると、真弓の一言により今日の見学はお開きとなる。
「いえ、これがいいです」
デザイン案のやり取りの最中、終始真弓は驚いたり笑ったり、一度も能面をかぶること無く…。高貴は惺から聞いていた、『能面』を見ることはなかった。

帰りは高貴も一緒に、真弓を送ることにした。
「にしても、こんなバカげたデザイン、有り得ないだろ。っていうか描いてて苦痛じゃないか?見てる方もきっついぞ」
18時を過ぎても、空は明るく、闇もまだ先になる。
阿久津が帰りも尚、ぶつぶつと文句を言うのは、
今、阿久津の味方は高貴しかいないためであり、真弓が高貴を気に入っているであろうことも含めて、惺のいない所で、遠回しに念を押す、姑息な考えが含まれているゆえである。
「百歩譲って、漫画絵ならまだわかるけどなー」
高貴も苦笑いで、惺のデザインを理解出来ないでいた。ふたりは真弓より先に歩き、時々振り返り、真弓との距離を確認する。夕暮れの街は昼間と違い、砂利を踏む音はさほど気にならずに、セミ、車、豆腐屋のラッパ、テレビの音に子供の声。それぞれの日常が壁に反射し木霊のように加わっている。
「友禅史上、ある意味伝説になるな」
阿久津と高貴の会話もしかり、真弓は全てを楽しみ、懐かしい昔を思い出す。

駅では従者が昼間と同じ場所に立っていた。真弓と別れる際、高貴はまた料理を作らせて欲しいと頼まれて
「惺に聞いてから」
と返事をした。阿久津は
「着物だと汚れると大変だし動きにくい。着物じゃなくても大丈夫ですよ」と進言すると、真弓はふたりに礼を言い、従者の元へ帰っていく。
「でも、惺はどうだろ」
高貴はぽつりと阿久津の進言に疑念を投げた。
「あ、そうか」
と、阿久津は忘れていたことを思い出す。
「まあ、いざとなったら頼むぞ、高貴」
と、阿久津は自分の物忘れをさておき、高貴をあてにする事にした。

能面じゃないじゃん

(高貴とお揃い、か…)
惺はアパートに残り、スケッチ片手に高貴の定位置、マットレスに仰向けに寝転んでいる。

阿久津や高貴にああ言ったものの、未だに答えを見つけられずに、拘っている。
(決してこの案はふざけて出した訳じゃない。あのシャツには、図々しいまでの、自分の好きなものに対する素直さや図太さがあるように思えた。別に真弓さんがそれを望んでいる訳じゃないし、そんなものを着たからと言って人間が変わる訳じゃない)
高貴があのシャツを嫌がったのは、皆がバカにするから、ではなく、自分が興味のないキャラクター、で、あの構図。だからあれを真正面から着る勇気も無かった。ということだろうと、惺は解釈している。
(本気であの絵が好きな奴なら、他人がどう思おうと、自信を持って着るだろう。真弓さんが希望する「怪物」にしても、怪物柄を着たからと言って、真弓さんが「怪物」になる訳で無し、なることを望んでいる訳でなし、何かが変わる訳がないのも判ってる。ただ判っているのは、真弓さんは般若を好きな訳ではないのに怪物を希望した、と言う事か)
惺はムックリと起き上がると、着慣れないまともな洋服から、いつものランニングとパンツに着替え始めた。それでも頭は迷いから抜け出せず、真弓の笑顔を思い出す。
(本当にこれでいいんだろうか?)

真弓と別れてのち、高貴は阿久津に
「惺の嘘つき。全然能面じゃないし」
と膨れてみせる。
「そうだったな」
と、阿久津も真弓に対する自分の考えを変更する。
「料理なんて、家で作ればいいのに」
「色々事情があるんだろ」
高貴も今日は疲れたらしいと阿久津が気付く。
「真弓さんを笑わせる為に、わざとあんなデザインしたのかな?」
高貴は自分の分からなかった事を阿久津に聞く。少し沈んでいるように見える高貴は、一端の作家見習いであり、惺の思惑がわからなかった事が悔しいのか、少々自信を無くしたらしい。しかし惺は作家として一般的から外れている。
「それはないな。って言うか、あれ見たら普通怒るぞ」
呆れ笑いで答える阿久津。
「そうだよね」
高貴も惺が特殊な事は分かっている。ただ、不安になる時、阿久津の一般的な意見を聞き、安心する事に決めている。
「じゃあ高貴だったらどんなデザインにするんだ?」
阿久津の問いに、高貴は自分が描いたデザインを、今度見せる約束をする。阿久津は高貴の絵に対し、批判や誤魔化しの感想を今まで言った事がない。
高貴は阿久津の言葉を鵜呑みにはしないが、惺とは違う意味で、個人の嗜好で絵の良し悪しを判断しない、対等に絵の話が出来る、数少ない人だと信用している。だが今回、阿久津に見せてもどうにもならないと、高貴自身が判っていた。
「でも、きっと真弓さんは今日みたいに笑わないよね」
惺の思惑が何処にあるにしろ、高貴には真弓がOKを出した理由がわからない。
「惺も笑わせたい為に描いたんじゃないだろ」
阿久津は正直に答え、それも高貴にも分かっていた。
(惺は笑わせたくてあのデザインをした訳じゃない、ずっと悩んで考えた末での答えだとわかってる。じゃあ何故あのデザインをしたんだろうか? じゃあ何故真弓さんはOKしたんだろうか?)
真弓から『お揃いね』と言われた時、真弓は高貴と違い、あの着物を着て笑われる事を厭わず、自分とお揃いである事を望んだ、という事くらいしか分からなかった。でも、惺には別の何かがわかったのではないだろうか?と、高貴には思えたのだ。
「ねえ、阿久津さん。良いデザインって何だろう?上手いとも綺麗とも違う、立派でも派手でもない、丁寧だろうが高価だろうが関係ない。お客さんが喜ぶデザインって、本当に欲しかったデザインって一体何だろう?」
高貴の質問は質問ではない。阿久津が答えられる程度の事は高貴は十分判っている。だから阿久津も言葉ではなく高貴の頭をポンポンと叩いた。

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