友禅師 惺 〜結婚式〜03 状況報告2回目

novel-長編-
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状況報告2(三押デパート)

前回の製作見学の後、阿久津の元へ早川から連絡が来る。作家に対し、作業終了までの期間、拘束料として毎月15万円を、製作費から前払いするとの申し出だった。後になるか先になるかの問題だが、今の惺の生活状況を見かねた、真弓の進言であろうと理解する。その時、同時にデザイン決定の報告と、続く工程、布の選定、採寸、裁断について、今回は三押デパートで白生地を買い、惺が世話になっている仕立て屋で採寸、裁断を行うと説明。惺の作業待ちは発生しないため、そのまま日取りと待ち合わせ場所を定める。念の為、その日は惺のアパートには寄らない旨を伝えると、真弓は残念そうに承諾した、とのことだった。

その日の待ち合わせは、仕立屋の都合に合わせて設定する。阿久津は早川に、惺が拘束料を頂戴する旨と、惺とふたりで電車で三押へ向かうとを伝えると、待ち合わせはデパート入り口でと聞く。しかし
「遅いな」
腕時計の針を確認する阿久津。待ち合わせ場所に、喫茶店を利用する旨を阿久津は早川に提案した。が、早川からは、出来れば入り口で待って居て貰いたいとのこと。時計と入り口を見張るのは、阿久津に任せて、惺は、デパート入り口から通じる、だだっ広いフロアーの真ん中を上階までくり抜き占拠する、理解不能の立体芸術を見上げていた。惺は、3次元芸術への理解が皆無である。興味も全く無く、立体は現実にある自然物が至高と思うゆえ、完全に複製が出来ない、似たような立体を作る意味が分からない。だからといって、異業種の作品を尊重しない訳では無く、今、惺の目の前にある巨大物体も、芸術が蔓延しているらしく、惺にはとんと理解が出来ない。制作者達の異様な執着、途方もない時間などは感じられても、何がそうさせるのかと不思議に思う。要するに芸術が理解出来ないだけなのだ。
「こういういかにも手が込んでます、っていうのがありがたがられるのかね?」
芸術音痴の阿久津は俗物的観点でそう言った。
「分かり易い労力だしな。腕が2本の仏像と千本の仏像。同じ作者で条件も同じで、どちらが凄いかって言われたら、普通千本の方を選ぶだろ」
もうひとりの芸術音痴は、分からないものの選考には、数を数えて決めている。
「所詮芸術なんて流行や感覚、人によって変わるもんだ。それに比べて手動の労力は、昔も今も変わらんし」
「ならお前のアレは、いつまでたっても理解される事はないだろうな」
惺は阿久津が職人と芸術を比べて、引き合いに出すこと自体が間違いだと思っている。だが、阿久津の言いたい事は分かるゆえ
「悪かったな」
とだけ返して置く。

待ち合わせの時刻から30分を過ぎた頃、入り口をキョロキョロと見渡し、惺と阿久津を見つけると、いそいそと寄って来た三押の店員が、待ち合わせ相手の車のタイヤがパンクしたため、もう少し遅くなるとの言伝を伝えに来た。以前の不祥事から、真弓の外出時にアクシデントが発生した場合、早川と井荻の両者に連絡を入れる事が条件に加わっている。どちらにしろ確認が必要なため、阿久津は公衆電話より、早川に連絡を入れると、パンクはすでに早川の耳に届いていた。
「今日は中止か」
入り口の番は三押の店員に任せて、惺は公衆電話まで付いて来た。惺の呟きに、阿久津は送話口を押さえて
「いや、真弓さんは来る気らしい」
と、小声でそれだけ伝えて、押さえていた手を離し、また早川と通話する。
今日真弓さんを呼び出したのは、白生地の選定と採寸のためで、特に報告することはない。惺は阿久津が電話する横から、無理する必要は無いと提案する。だが阿久津は、会話をしながら頭を小さく左右に振る。用件が済み電話を切ると、阿久津は早川より『真弓が喜んでいる。待ってやって欲しい』と言われたことを惺に話した。
(そう言われたら仕方ない)
と、あえて惺に同意を求めず、受け入れた阿久津同様、惺も心情的にそう思わざるを得なくなっている。
「井荻さんにも、連絡を入れないとな」
阿久津が再び電話をする時間、惺は横で待ちながら、今日も来ない早川、井荻の両名について考える。
(早川さんも井荻さんも、今日もふたりとも来ない。その分捜査の話は進むが「是非ご一緒させて頂きます」と言っていた、あの約束は何だったのか?)
惺への製作依頼は舞台衣装がほとんどで、振袖、留袖、訪問着などの一般依頼をよく知らない。見学もまだ2回目であるし、今日はイレギュラー。真弓さんと井荻さんは見合いで政略、だとしても。惺は、真弓が不憫に思えた。
「…ちょっ!」
相手から電話を切られて、阿久津が憤慨する。
「どうした?」
「いや、電話に出たのがいつものおばちゃんじゃなくて、代わりに変な男が出ていきなり切りやがった」
「井荻さんじゃ無かったのか」
「井荻さんは不在、連絡も不要ってさ。不在は判るが連絡も不要って、そんなの他人が決めることじゃないだろ」
阿久津はそれだけ言うと、再び受話器を取ると、いささか乱暴にダイヤルを回す。相手が出ると、怒りの篭る言葉で井荻を呼び出すよう丁寧に脅す。すると今度は井荻本人が電話に出た。不意を突かれた阿久津に井荻は
「ご連絡をありがとうございます。早川さんがご存知なら問題ありません。以後こちらへの連絡は不要です」
とのこと
「ですが」
と、阿久津は食い下がるが、早々電話を切られ、叩かれた破裂前のヨーヨーから水を抜くよう溜息をつく。
「連絡不要だってさ。だったら最初からそう言えっての」
阿久津はそう悪態をつくと、既に切られている電話の受話器を雑に置く。井荻の対応に、釈然としない部分があることは、惺から見ても明らかだった。
そこで真弓が、周囲を照らす様に現れた。三押のデパートガールに案内され、今日は従者が付かずひとり。待たせたことをお詫びし、遅くなった理由を改めて説明するが、顔は明るく笑顔のまま。優しい色で染めた正絹の訪問着が更に周囲を明るくする。
「阿久津様には、お気遣い頂きましたが、今日は着物で」
と、真弓が阿久津に向かいほほ笑むと、先程までの毒気を抜かれ、機嫌もすっかり回復した。

かく言う惺も、真弓の笑顔に癒され、早川や井荻の真弓に対する理不尽については、一旦保留とする。ふたりが来ない事は都合良しとし、そのまま忘れる事にした。

工場サイド(工場の現状)向坂登場

スーツの男は不機嫌丸出し、自分が居る事務室内の全員を、ぐるっと見渡し確認した。顔を逸らす事務員たちと、ガチャガチャと鳴る機械音。井荻と自分のほかにもう8名。空席ひとつ、作業着で事務を行う6名と、ひとりは白シャツ、もうひとり、シャツにネクタイをした男がいる。井荻は受話器を持っている。しかしスーツの男は会話を終了させるべく、指でフックオンにした。
「私的内容の連絡は、会社の電話では行わないと、伝えて頂けるようお願い致します」
「分かっています」
井荻の回答を確認すると、スーツはフックを開放した。井荻は置くべき場所に受話器を戻すと、プレハブ部屋から出て行った。
「分かってるなら、やれっつーの」
井荻が出て行くとすぐ、電話機がある机に座る、ネクタイの男が悪態をつく。その内容は工員たちにも聞こえている。

スーツは自分の机に戻ると、机上の端に纏めて立てたファイルの中から勤怠表を取り出した。井荻の欄は欠席が目立つ。他社員の表に数字か会わない箇所を発見する。スーツはネクタイを呼び寄せ、書類の不備を指摘する。と、ネクタイは謝りもせず、本日休みの工員から、工場を辞めると連絡が入った旨を、思い出したように報告した。
「先週はひとり、今週もひとり。オレが入ってからもうふたり目。大丈夫なんですか、この会社?」
スーツは、ネクタイの質問に返事もせずにまず間違いを直すよう、ネクタイに通告。不満気に机に戻るネクタイを無視。スーツは自身の机上の電話を使い、クライアントに電話を架けると、こう伝える。
「ええ、あと三人受け入れ可能です」

合流(二手に分かれる)

車は、三押の駐車場に停められるため、今日は従者兼運転手が、真弓と一緒に店内まで付いて来るかと、惺も阿久津も考えていた。しかし真弓は、従者は車中で待つため、車から降りないことを伝えられる。秋口になり、以前よりいくらか涼しいとは言え、それでも車中待機はキツいだろうと、惺も阿久津も考えた。特に今日は、報告する素材も無く、従者が一緒でも問題ないと、伝えてみる。が
「車中待機は、父からの命令です。従者も承知しておりますし、私の変更指示は聞くことはありません」
真弓は、ふたりの心使いに感謝しながら、申し訳なさそうに答えている。
「なら、俺に任せろ!」
阿久津は事情を理解すると、従者の相手をするべく、さっさとその場から離れていく。阿久津の思うところは、惺と同じ聞き込みである。戸惑う真弓に惺は、止まって居る車だからこそ、張り切る事情は内緒にして
「どうやら、白生地はふたりで見に行くことになったみたいですね」
と笑って教えた。

三押の駐車場にて。車の窓を全開に、うちわを仰ぎ、煙草を吹かす従者を発見。
阿久津はアイスコーヒーを両手に持ち、器用に窓を軽く叩いた。
「ども」
思わぬ珍客に驚く従者。
「こりゃどうも!」
慌てて車のドアを開け、素直に阿久津を招き入れる。
阿久津はその行動から、従者はあの約束を知らないことを確信する。知っていれば、阿久津に引き返すよう勧めるだろうし、今日は真弓が勝手に外出した訳じゃない。何よりコレはチャンスである。
(本気で娘が心配なら、口だけでなくホントに来い)
と阿久津は心で思いつつ、生地選びをふたりに任せて来た旨を説明した。
お互い何度か面識があるため、従者は阿久津を警戒せず、ふたりでのんびり煙草をふかすと、ゆっくり話しを開始した。
「今日みたいなことは、無い方がいいんですが、あると困りますし、まあ念の為」
と、阿久津は惺と阿久津の両方の電話番号を従者に渡し、持参した扇子をパタパタさせる。
「でもどうしたんです?」
「パンクですよパンク。たまにあるんです」
「たまって…そんなに多いんですか?」
阿久津の中の常識では、車のタイヤのパンクなんて、早々無いと認識している。
「まあ、早川の車ですから、悪戯を含めて昔から何かとあるんです。奥様は交通事故で亡くなられましたし。猜疑心も生まれるし、慎重にもなりますわ」
だから車から離れられないのか、と阿久津はそう解釈した。
「まあ、一か所だけでしたし、スペアに取り換えましたから、今日はもう大丈夫でしょ」
(今日は、って…おいおい、そんなにあるのかよ?)
考えられない頻度に対し、従者のこの余裕はなんなのか。
「じゃあ運転手って言うよりガードマンですか。いやー!確かに見るからにお強そうですし」
「いやいや、さすがにもう現役の頃には及びませんねぇ」
やっぱり、と阿久津は納得する。
つまり真弓の外出禁止は、家出再発防止より警護の意味が強く、必要以上の警戒にも合点が行く。

白生地の選定中(真弓は自分の着物を持っていない)

惺は真弓の話に驚いた。
「では、今まで着ていらしたのは、全てお母様のお着物なんですか?」
「はい、亡くなった母の着物を着まわしています」
屈託ない笑顔を惺に向ける。

忍術の巻物の如く巻かれた、ちりめんと呼ばれる布。絹糸の色をそのまま織り上げ、何者にも染められていない反物を、珍しげに覗き込む真弓。

真弓の話を聞き、惺はようやく気が付いた。真弓は惺たちと会う際、常に立派な着物を着ていた。そのため惺は真弓が目が利きで、白生地を選ぶ際は、本人の意見を聞いた方が良いだろうと思ってのことだった。なのに
「でしたら、母が目利きだったのでしょう。私は着物の良し悪しはわかりませんし、何より、私自身の着物は1着だけですから」

反物が積み上げられた棚を、真弓は隈なく観察する。
確かに真弓は何も知らない。友禅が後染めと言う事は知っていたようだが、先染めと後染めの、違いは分かっていなかった。なら
「では、あの『白』は、お母様が作られたものだったのですか」
惺は念のため、真弓が式場に着て来た白についても聞いてみる。
すると真弓はキョトンとして、少し考え、思い出す。
「いえ、あの『白』が私の唯一の着物です。成人式のとき、振袖を作らなかったので、お見合いの時くらいは、母のお下がりではなく、ちゃんと自分自身の着物でお会いしなさいと、そう言われて作ることになりました」
惺は唖然とし、ショックを受ける。
(そうだったのか)
すでに洋服文化の蔓延する時代に、女性が着物を着る機会といえば、今や七五三か成人式くらいである。未婚女性であれば、成人式を期に振袖を作り、結婚するまでの間、礼服として着用するのが一般的。だが富裕層になれば、気に入った作家に、ひとりで何着も注文することが稀にある。惺は依頼内容を聞いた際、真弓もそのうちのひとりと思い込み、偏見を持っていたことに気がついた。今更後悔しても仕方がないが、自分の思い込みに気付くという事は、自身の器の小ささに加えて、妬みやいじけた心にも気が付く訳で、本当に
「よく『白』で作れましたね」
自分で自分が嫌になる、と、惺は自戒を込めて質問する。すると真弓は惺の言葉に、当時を思い出したように笑う。
「実は染めて頂いた後、よく見ると『白』ではなかったので、もう一度染め直して頂きました」
恐らく真弓は何も知らず、営業も早川の権力を恐れ、何も教えずただ真弓の希望に従い染めのだろうと推察する。
素直に返事をする真弓の話を
「なるほど」
と、惺は余計な知識で濁すこと無く、言葉のみを聞き入れる。

惺が白生地を選ぶと、会計は阿久津に任せるため、後で寄る旨を伝えて、真弓と店を後にする。結局、真弓に無駄足をさせたことを謝ると、真弓は楽しかったと述べられる。
しかし
空を見上げてため息をつく。

・真弓は駐車場に向かう途中、早川に連絡する。この後石神井で採寸に向かうと報告するが、井荻には連絡をしなかった。
井荻さんへはいいんですか?
井荻様へは、父が連絡をしていますから。
そう言うものなのか?
益々分からなくなる惺
・駐車場では車を止めた付近から、笑い声が聞こえてくる。阿久津と従者が昔話で盛り上がっているようだった。
だが
「そりゃあ是非1度、ご教授頂きたいです。今度お時間が有ればお手合わせ願えますか?」
「では旦那様に伺ってみて頂けますか」

阿久津の下心は、あっさり撃沈される。
「やっぱ、そこまではダメか」
会計を阿久津に任せて、惺は白生地を受け取り、石神井までの道中、報告アンド作戦会議を行う。
阿久津曰く、松崎は一見柔軟そうに見えて、実際ガードは固く、知りたいことは何も聞けなかった、とのことである。
聞けたことと言えば、

従者とはボディガードで、松崎の他にふたりいること。
ほかに女中がひとり、住み込みで働いていること。
真弓さんはひとりっ子であること。
奥様が交通事故で亡くなったこと。
以来、早川の妹が屋敷を仕切っていること。
ホント、関係ないことばっかりな。
にしても、女中よりガードの方が多いのか
車に悪戯とか考えると、そうなるんじゃね?

というか、松崎さん自身知っているかどうかも分からんしなぁ。
勤めて長いってことだから、やっぱ何かしら知ってるだろ。
後悔は大抵、だろうとかじゃないかって言う、分からんことを調べもせず想像で予測してしまうから。
情報は多いに越したことない。
たしかに、と同意せざるを得ない惺
無意識とはいえ、今の惺には、耳の痛い話しである。

と言うことで、次、よろしく。
何を?
阿久津は店に用がある為、真弓と一緒に店に行く。
期待しないから心配するな

石神井にて

「店の中は狭いので、斐川の相手をお願いします」
阿久津は松崎に敬礼すると、真弓と一緒に、呉服屋店内に入って行く。松崎は車を日陰へ移動して、惺に灰皿を差し出した。
「あ、いえ、着物に匂いが着くのを嫌う依頼主もいますし、ヤニの事もありますのでタバコはやらないんです。松崎さんどうぞ」
惺に名前を呼ばれて、松崎は一瞬驚くが、その後特に気にすることはなく
「かしこまりました」

呉服屋でも、全部の店が、着物一式全て一括で作ることが出来る訳じゃ無く、特に友禅なんて、コンスタントに仕事が入るとは限りませんから、それぞれの職人間を阿久津のような仲介を通して、制作してるんです。

今日はホントに、次へ進めるためだけの準備でして、療養所への確認もこの後これから向かう所なんです。

先に診療所へ行っときゃ良かった。と反省する反面、まあプロじゃないから仕方ない、と自分でフォローする

療養所の件だけでも少々時間が掛かる旨を伝えると
真弓は快く了承する。

真弓を採寸(和裁師の娘)に任せ
阿久津は別の場所で商談中

松崎は灰皿を下げて、リラックスする。
「特に夏場は駐車場で待つのはしんどいですし、一時帰宅させて貰えて、実は非常にありがたいんです」
惺にお礼を延べると、シートを2段傾けた。
「ずっと、真弓さんに付き沿っているんですか?」
惺の質問に、松崎は目を閉じて答える。
「いえ、お嬢様に付き添うようになったのは、5年前くらいからですかねぇ。普段は、旦那様にお仕えしておりますが、お嬢様が外出される時は、私が同行しております」
阿久津の話しからすると、松崎は車で待機中も、監視を怠ること無く、注意する必要がある。自分が一緒にいることで、安心していられるなら、松崎から信用されていると考えていいはずだ、と惺は考える。
「早川に勤めて、長いんですか」
眠りに着こうとしているのか、松崎は目を閉じたまま答える。
「戦後、働き口を探していた時、旦那様に拾われました。お嬢様もまだ小さい頃です」
懐かしい思い出を語るよう、強面の松崎の顔が優しくなる。

「ですから、このところの真弓様が本当に楽しそうで、私も嬉しいんです。お嬢様が変わられたのは、阿久津さんと先生のお陰です。ありがとうございます」
松崎はムックリと起き上がると、惺に向かい、頭を下げる。

「いやいや、それを言うなら私のお陰では無く、婚約者の井荻さんのお陰じゃありませんか? 私たちはただ単に結婚準備のお手伝いですし」
例え惺でも、常識として理解している部分は、キチンと建前で答える。しかし松崎は、少々含むことがあるように
「いえ、最近の笑顔は、明らかに先生方のお陰です。たしかに私は、井荻様を車に乗せたのは1度だけですので、井荻様のこと知っている訳ではありません。それに旦那様がお相手に決めた方ですから、今度は間違いないでしょう。が…」
ん?惺は、松崎の、引っかかる言い方が気になった。
(今度は、って…多分判ってて言ってるんだよな?)
その惺の様子に気が付いてか、
松崎は再びシートに背を預けて、眠るように目を閉じる。
惺も深追いせず、しばし沈黙の時間に身を任せるつもりでいた。
が、惺の覚悟ほど間を置かずに、松崎は再び話し出す。

「お嬢様のお相手は、私の前の、前任のお嬢様の従者です」

いきなりの核心に驚く惺。それよりバレた可能性に動揺するあまり、ロレツが廻らず
「あ、あの、どう言った意味でしょう」
素っ頓狂な声で返事をした。

 

(何故そんなことを教える? バレてるのか。だとしたらどこまで…)
惺は、自分の顔が引きつるのを無理矢理押さえ込む。
松崎はそんな惺の態度を気にせず、目を閉じたまま話しを続ける。
「従者になるには、そんなに簡単ではありません。まず、親族からのツテ。推薦が無きゃダメなんですが、その者、貝塚が雇われたのは、前任の従者が亡くなったからなんです」

「奥様と一緒に」

「交通事故、それも不審死。突然の事故で原因不明。警察はそう判断しましたが、後日に嫌な噂が流れましてねぇ。
従者と奥様が不倫したとか何とか。
違いますよ、奥様は旦那様を愛しておられましたし、従者は仕事に真面目な実直な男だった」
いつの間にか、松崎は目を開き、バックミラーあたりを眺めている。
「ここからは、真弓様には内緒にして頂きたいのですが、事故原因は不明となっていますが、実際は、ブレーキにいじった可能性がある事が判りましてね。
旦那様は再捜査を依頼するんですが、警察は受け付けず。以来、運転手は車を離れる事を禁じられたんです。事故以前から度々、弄られた形跡があり、そのたび警察に通報しますが、タダの悪戯としてしか処理されませんし、今でも悪戯は絶えず、点検も欠かせない。だから従者となる者は、親族からの推薦が必要なんですが」
噂が違う形で真になる。
貝塚は、沢渡からの…奥様の親族からの推薦でしたので、お嬢様付きになりました。
勿論、お嬢様は不倫でも何でもありません。ただの家出です。

「ですが貝塚の事は、私も責任を感じておりました」

戻られてからのお嬢様を見ていると幸せって何だろうかと考えさせられます。

奥にある着付け用の部屋で、真弓の採寸を行う最中、阿久津は店の接待用の和室で、お茶を頂きながら和裁師と話しをする。惺が世話になっている、と言うより先生の伝手で惺まで世話をせざるを得なくなっている、と言う方が正解だろうと阿久津は捉えているが、それは営業上は言わなくていいことで。
「とんでもない柄の着物ねぇ」
「いや、こんなの頼んで申し訳ないんですが」
「まあ、惺さんだから、しょうがないね」
そう言って笑って許してくれる和裁師は、多分この人くらいだろうと阿久津は思う。
「そうそう、昌さんの着物と併せて作った襦袢。両方とも出来てるよ」
「龍の帯は?」
「もうちょっとかかるなぁ。蒸しが終わったばかりだし」
ここでは和裁の他に、蒸しの工場もある。デザインや絵付けは作家に任せて、他の工程は一貫作業が可能な所がありがたい。
「相手、早く欲しがってるんだけど無理?」
「納品遅れたんだから、そこはしょうがないでしょ」

「それで旦那様のお着物はどうなさるんで?」
「それが全然会えなくて」
「聞くだけ聞いといて下さいよ。予定を空けるかどうか、コッチも決めなきゃならんし」

戻って来た真弓に聞いてみる。

「そういや井荻さんは着物、どうされるんですか?」
「すみません、私は存じておりません」
呆気ないほど、あっさりと答える真弓。
(普通一緒に、って言うかついでに選ばないか?まあ政略だからっていやーそうだけど)
じゃ井荻さんは知ってますかね?
すみません…
申し訳なさそうな顔をする
いやいや、真弓さんのせいじゃありませんから!
(それも知らないのか)
「早川で私には決められることがほとんどありません。式場も早川が用意した場所へ見学に行っただけですし、式の日取りは聞いておりますが、着付けなど何処でどうするのかも、私には知らさせることはありません。早川で全て決めていると思います」
「それ以外は許されない」
頷く真弓
もしかすると、井荻さんへ連絡も出来ないんですか?
「お父様以外は、全員です」
俺たちへの連絡だけじゃなく、全員ダメって、どんだけ拘束するんだ?
「じゃあ、もし井荻さんに会うことがありましたら、機会があったらここで作りませんかって言って置いて貰えます?
紋入れなら惺がサービスしますから」
阿久津は真弓が気にしないよう、明るく振る舞う。
(本当にこの着物以外、自分で何かを決めることを許されていないのか)
====
何度もしつこく掛かってくる電話に、イラつくネクタイ。
「井荻への連絡は無視していい」
スーツにはそう言われたが
電話線を切るか、受話器を外すか?
それは却下
他から連絡が来る可能性があるから。
=====

しつこく
電話しても繋がらない(阿久津からと分かると切られる)
惺も架けてみる
が、井荻あてだと分かると切られる。
なあ、これ工場からすれば
ただの嫌がらせ電話だよな?
かもな
嫌がらせになっているため中止
まあ、今日は無理か

いや、もう無理だろ

で、旦那さんは奥さん側の筋の人か
調べたいのは旦那と子供の行方で、余計な事してごちゃごちゃにしてもなぁ
情報は多いに越したことはない。と言いたい所だが、こっちも仕事あるし
まずは先に療養所と貝塚さんの親戚か

取り合えず、俺、これから出張と調査行くから
紋付きどうするかは
井荻さんに聞いといてくれ

おい、電話通じないのにどうするんだよ!
====
ここで惺を工場へ行かせてもいいかも?(門前払い)

6・また迷い出す

★この時点で2枚目のデザイン画完成済み?(まだ悩む)
====
大家さんに電話を借りて工場へ電話を掛けるが
やっぱり通じない。というか取り次いで貰えない

布は裁断中
阿久津は診療所へ

ヒマになる
タイミングが良すぎるだろ

大家さんの部屋から出ると、高貴が洗濯中
引っ越した5号室の方より頂いた、神器のローラーを回して脱水する。
高貴はこの作業が楽しいらしく、自分から進んで洗濯をする。

・松崎の話し
・真弓の事
・ヒマなら、工場行ってこい?(阿久津から任命=ならコレより前?だとしたら後の会話内容変更)

親父の言う三文ワイドショー並みの話に呑まれたか?
松崎から聞かされた話は惺にどうこう出来る事では無く
とにかく出来る事は着物を作る事だけ

なんだが

窓に添い、建物とブロック塀の間、幅1メートルもない長細い隙間に台を置き、洗濯物を干す高貴。晴天の空のもと、あのシャツも物干し竿に、洗濯バサミで吊される。

高貴は、惺の迷いが嬉しくてたまらない。あの絵で着物を作ったら、惺も真弓さんも馬鹿にされるに違いない。そう考える高貴は、目を三日月にしてにや~っと笑う。

(自分の着物は白装束のみ。後は全て母の着物。と、…俺が描くコレか。
着物にお下がりは良くある事で、それだけ良いもの沢山持って居る証でもある。
けど)
「こうちゃんとお揃いね」
か…。

決して嫌味でも何でもない。間違いでもない。
本心から本気で考えた。けど(偏見が入っていた)

「考え直すなら今の内だぞ~。描き始めちゃったら直せないぞ~」
洗濯ものを抱えた高貴が、窓の外側から冷やかし交じりの囁きをする。
しかし惺はひやかしに乗らず、

調査続行の阿久津から電話→今後の予定

診療所を訪ねる阿久津。
真弓から聞いていた住所を頼りに、山間に立つ診療所を見つける。都心から離れた比較的立派な建物で、中もゆったりとした2階建のサナトリウムである。
貝塚さんの場合、病院で診察した時点で、もう手遅れだと判断されて、余生をゆったり過ごせるようこちらに移されたとのこと。
当時の看護婦に覚えている人がいた。
話し掛けても、何もお話しをされない方で、何人か見舞い客が訪れたが、記録はしていない。
何故覚えているか?
お見舞いのお花のひとつを、押し花のしおりにしてお渡したら、とても喜ばれたので。
そのしおりは貝塚さんが亡くなられた際、一緒に持たせてあげました。

記録のコピーを頂く

戸前住所地へ
親族発見=一応手土産を渡すと話をする
ああ、ほんと知らないから、あんなごく潰し
生きてた時も、金はせびるわ喧嘩はするわ
ろくでもない奴らばかり訪ねて来ては迷惑ばっかりかけて
何だって死んだ後もこんなに他人様に迷惑をかけてくれるんだろう?
いつだったか、その時も弁護士って人がやって来て
あれこれ聞きまわした挙句、お礼も何もしやしない

早川に仕えていた事はしってるか?

ああ、そんとき散々迷惑かけたんだろ?
弁護士がそう言ってたわ。

何言われた?
ああ?そんなの覚えてねーよ
そっと写真の下にお金を包む

何か聞きに来る奴がいたら
何も教えず連絡しろってさ
だからおれは言わねーよ
お子さんもいらしたはずなんですが?
ガキ?しらねーな
まあ、幹夫は死んだから届けを出せって言われて
しょうがねーから出してやったんだけどよ
墓?
そんなもんねーし、共同墓地に入れた。(場所を聞く)

しおりの事を聞く
ああ、なんか出て来たかな?どうせ女かなんかに貰ったんだろ?
葬儀屋がどうするんだって聞くから、捨てちまっていいって言っといたから
捨てちまったんじゃねえの?

弁護士の名前は判りますか?
教えられねーって言っただろ。
容姿は?
なんかくそ真面目そうな七三分けだったような、ムカつく顔だったな。

他に親族は?
いねーよ。
沢渡と言う名前はご存知ですか?
知らねーな。
こんな親戚ばかりいたら困ってしょうがねーや。
死んでくれてサッパリしたわ。

偵察

普段着のままふらっと工場に訪れる。
名刺も持たない、身分証明も無し。
信用されず門前払い。

===
工場の敷地の入り口はトラックも余裕で出入り出来る幅がある。そこから見えるいちばん近くのプレハブ小屋の扉を叩く。
すると、ネクタイをした男が顔を出す。
「知り合いを訪ねてきたんですが」
先日の電話で、散々名前を言った手前、名乗ればそれだけで追い返されそうな気がするため、ワザと名前を言わずにそれだけ伝えると
「そのような予定は伺っておりません。紹介の無い方の入場は認められませんので、お引き取り下さい」
丁寧な言葉とは裏腹にバタンと扉を閉ざされる。
(まいったな)

早川さんへの連絡は阿久津から禁止されている。阿久津も、井荻さんへの連絡先は、工場しか聞いてない。
何かあったら工場へ連絡してくれって言われた。
から。
その工場へ連絡出来ないって言うのは、連絡するなってことなのか?
自宅は電話帳で調べれば住所も電話番号も分かるけど
今日来た目的が目的なだけ
いきなり自宅に電話するのも、ほぼ押し売りだよなぁ
プレハブは断られたが、入り口は開放されたままのため、そのまま敷地内を歩き
工場と思われる建物の外側から
不審者のように中を覗くと
工員が背中を向けて作業
更に覗き込む
気が付かれて隠れる
窓だから当然、中からも外が見える。
警備員が見回りに来る
やばい
そそくさと逃げる。

妙に警戒している
警備員?
阿久津の話じゃそんなのは居なかったよな?
入り口から出て見回る警備

近くの店に入る。(隠れる)

ーー
不審者なんていなかったぞ
警備員が報告
サボりの口実作ってんじゃねぇ!
上手く説明出来ない工員に乱暴する。
ネクタイの管理者は周りの工員を睨み、作業に戻るのを確認すると
事務室へ戻るため、乱れたネクタイを直しながら小声で文句を吐き捨てる。
ったく、何時になったら元の会社に戻れんだよ、くそ
鉛筆が折れる。

鍵付きの引き出しの中から書類を取り出し管理者の欄のひとりの成績表にバツを付ける。
「上も下もゴミばかりか」
あの、ちょっとお話しが…
シャツから話し掛けられる。
実は…(横領に関して)
—-
慌てて入った店が食堂
工場のこと知ってるかも
すみません、ちょっとお尋ねしたいんですが、そこの工場のことしってます?
知ってるも何も
目の前に立ってるだろ

事情説明。

へ?アンタ井荻さんの知り合いか

もし井荻さんが来た時覚えていたら、連絡が欲しいって言ってたって伝えて貰えません?
いや、ここんとこ井荻さん来てくれて無いからなぁ

前はよく来てくれてたよ。工員の人たちと一緒に

親父さんの生きてた頃は親子で来てくれたねぇ

最近入ったって言う
スーツ着た連中は食堂には来やしないし
昔からの常連さん、辞めさせられちまって、残念でならねぇ

===
★惺に電話する→出張先からだと電話代が半端ない
阿久津が東京に戻ったため、アパート訪問日を設定する。
裁断終わったって連絡あったぞ

診療所での話を聞く
墓地に行き記録を確認。
早川のことは知っている
弁護士が来ている
子どもは知らない
沢渡も知らない
====
早川の弁護士か
親族と会っているのは久谷だとして、真弓さんに『子供はいなかった』と言わずに『子供は死んだ』と伝えているだとしたら、その根拠が何なのか。理由が分ればあるいは

いっそバラして早川さんに全部聞くとか
松崎さんにも全部話して
真弓さんに自由が無くとも
俺らが調べりゃいい事だし

アホ、おおっぴらに動いたら誰も言い訳出来ないだろーが
それで早川さんの機嫌損ねて
工場駄目になったらどうすんだよ?

あ、そうか

いくら真弓さんが工場を守るって約束してくれたとはいえ
それはあくまで真弓さんが早川の娘だから言える事で
当の早川さんがダメって言えば、まず工場の件はお釈迦になる。
いくら周りにバレてても早川さんが目をつぶるならそれで良し。
確かに捜索は大事だが、
俺らは工場を救うために真弓さんに協力してるんだって事忘れんな。

で、紋付きの件は?

それが門前払い食らったわ。

は!?

真弓の私服

2回目の報告会は、作業自体は下描きに移行し、取り立てて決めることは無く、報告と見学のみとなる。それですら出来るか否かは、早川と井荻次第になるのだが、早川に連絡をすると、今回も同行しない旨を伝えられ、そうなれば、こちらも割り切り対応する、と阿久津はポジティブに捉えていた。当日。以前に、真弓へ気楽にしていいと言った手前、自らもそうあるべきだと、阿久津は定番のアロハシャツとサンダルで、初回と同じ場所に行く。待ち受けていたのは、従者の松崎と、真弓と思しき女性である。はじめ松崎は阿久津に気付けず、ある種の職業かと警戒するが、阿久津と判ると平謝り。かく言う阿久津も、松崎が居たお陰で気付けただけで、真弓は今日は洋服だった。
(ああ、こりゃ今日はダメかもしれん)
と、アパートへ向かう道中、阿久津は自分のど忘れを後悔する。季節外れの半袖のゆえか、黄色に赤のシャツゆえか。砂利道を後ろからついてくる真弓が、ずっと笑っている気配がするのは、阿久津の意図が的を得た証拠である。それはさて置き、この事態をどうするか。しかし、今更考えてももう遅く、アパートのドアをノックする。すると、開いた扉から現れたのは、また高貴の膨れっ面である。
「お前、また怒ってんのか?」
阿久津の問いに無言で頷く。今日も高貴は機嫌が悪い。言いたいことが山ほどあり気に、恨めし顔で睨んでいる。
「だって惺が、迷ってるから描き直すかと思ったのに、またアレを描いてるから」
まだ迷ってるのかと呆れる阿久津。高貴としては、惺がまた悩んでいたため、もしかすると例のアレを描き直す気かもしれないと、かなり期待をしたらしい。にも関わらず、今日布を出し、タモに張り、描き始めたのは、やっぱり例のアレだった。と、玄関先で通せんぼをしたまま、阿久津に対し訴えた。高貴が都合のいいよう、惺の態度を曲解した、と言えばそれまでだった。が、阿久津としては、今日は高貴に活躍してもらう必要がある。
「おれ、惺の弟子になりたかったけど、ならなくて良かったかも」
と、がっくり肩を落とし、自分から話を締めるまで、ひと通り高貴の言い分を聞き
「そりゃ惺に期待する事が間違いだ」
と阿久津なりに慰める。すると
「あの、何か悩んでいらっしゃるのですか?」
待たせたままの真弓が、阿久津の後ろから声を掛ける。
振り返り真弓を見て、阿久津は更にがっくりする
「あ、今入りますから」

玄関は阿久津ひとりで一杯で、真弓は隠れてしまっている。阿久津は靴を脱ぐため腰を下ろすと、高貴の前に、隠された光と共に、真弓が姿を現した。
「こんにちは」

そこにはニッコリと笑う真弓がいた。いや、髪を下ろし、淡い色のワンピースを着た、しかも若い女性が、光を帯びて透き通るように立っている。秋だというのに春風の如く、ボロアパートのはずの背景も、開けたままの扉を額に、ピンクと黄色の花畑けに変換されて頭の中で吹き荒れる。高貴は大方予測はしていたものの、想定以上だったために驚いた。が、次に阿久津の失敗具合を理解した。何しろ、さっきから後ろに感じる気配と来たら。高貴は振り返らずとも、正面にいる阿久津の残念面でも良く判る。後ろから覗きに来た惺は、すでに本体から魂が抜け、指の先まで硬直している。
「すみません、本当に忘れていまして」
戸惑う真弓を、阿久津と高貴は、4畳半で固まる惺の横を通り抜け、ちゃぶ台のある6畳に通すと、お詫びを込めて回答する。惺は、若い女性に免疫が無い旨。街を歩いているなどすれ違うだけの人、対面して直接対応する必要のない人、対面しても子供や歳を取った女性なら、問題が起きることはない。しかし、適齢期の女性と直面すると、惺は大抵硬直するのである。なら真弓に対し今まで大丈夫だったのは何故かと言うと、惺の都合の良い視野に問題があり、着物を見ると着物しか見えず、ほかの部分は、見て見えなくなるためである。(それに加えて、以前の真弓の顔は能面で、いつも以上に、着物へ意識が集中していたんだろうな)と、阿久津はそう解釈しているのだと。
「多分、慣れてくれば、それなりに動けるようになるとは思います。無論報告は私がしますし、下書きの方法は高貴が変わって解説しますので、今日の所はご勘弁ください」
と、両手をついて陳謝する。
そうしている間も惺の石像化が進んでいる。邪魔にならず、話が聞こえる程度の場所に、阿久津と高貴で移動した。

8・旦那の調査結果

真弓は6畳の部屋を見回すと、扇風機が消え、天井には、電灯を避けて鴨居の左右に数本の紐が渡されている。その上に見た事が無い物体があると気がつく。木製の棒が弓のように曲がり、横に3本、縦に1本、恐らく裁断された布を、その棒でピンと貼っている。

阿久津はまず、貝塚に関する結論から始めて、ひとつひとつ伝えていく。
「ご主人様に面識があると言う方に、お預かりした写真を見せて確認したところ、間違い無いと。お骨は身内の方により、寺院の共同墓地に埋葬されておりました」
真弓が知りたかったであろうことをそれぞれに。現地の写真も、話に合わせて渡していく。療養所の建物と室内、親族の家と人。
親族の写真を見せた時、真弓は注意深く眺めていたが、特別質問する事はなかった。
「花の種類は分からないそうですが、小さくて白い花だったと。ご主人はその花をしおりにして大切にされていた為、遺族にご主人をお返しする際、一緒に渡したと言うことです」

「花を持った男性?」
「ええ、お見舞いにいらした方で、記録が無く、名前は判らないそうです」

質問が有れば丁寧に答え、分からないことは分からないと、言わなくて良いことは伝えず、言い難いことは別の言葉に置き換えて。
阿久津の横で聞く高貴も、真弓と共に頷いている。
寺と墓前の写真の中で、石碑の前には、花と線香が写っている。
真弓は阿久津が自分の願いを叶えてくれたことを感謝した。

ご主人にの話しをひと通り終えて、次に子供の話しに移行する。

「お子様のことを親族に伺いましたが、
親族は子供の事は知らないとのことです。お預かりした、預け先の住所も名前も、親族の方は知らないとのことでした」

「え?」
「でも…主人は預けたと言っておりましたし、何度かお会いさせて頂きました」
真弓は、驚きから徐々に、信じられないと言った顔になる。改めて親族の写真を見つめる。
「ここにいらっしゃらないのは、何故だろうと。主人の話では、嫁に嫁いだ妹の親族のため、苗字が違うと聞いておりました」
(会っているのか)
「その方の写真などはお持ちですか?」
「いえ、苦手だからと断られて」
真弓は頭を横に振ると、何かを思い出そうと考え込む。
ここで親族に直接電話をし、話を聞くことも可能だが、あの親族ら相手では、真弓を余計に不安にさせるだろう、と阿久津は思う。
「真弓さんは、早川の弁護士の方はご存知ですか?」
「はい、久谷から二人が亡くなったと聞きました」
(やはり、久谷は何か知ってる?)
と、阿久津は考える。惺の言うように場合によっては、早川や久谷に直接聞いてみる必要がある。それも聞ければの話だが。
「ではもう一つ、ご主人と沢渡の関係は?」
真弓は阿久津から、沢渡の名前を聞きはっとする。が思い直して
「母の事故について、沢渡は早川を疑い、沢渡の紹介で採用した従者が私の主人です。そのため今は、お互い交流がありません」
阿久津の考えを察知すると、可能性を考える。
「沢渡って」
高貴が質問
「真弓さんのお母さんの旧姓」
阿久津が答える。
「じゃあ、真弓さんに嘘ついて、本当は沢渡に預けたとか」
高貴も高貴なりに、横で考えていたらしい。
「それなら、久谷は知らない可能性がある。ただ、籍は引き取る時に作る…のか。たしかに真弓さんの子供の証拠が必要だよな、その場合。早川の跡取りって言う。ちゃんと子供として証明出来なきゃ意味ない。縁を切った遠縁の子供なんて、預かるメリットが何も…」
阿久津は高貴の疑問に答える最中、自問自答に変化する。更に自身の失言に気付くと、コホン、と、ひとつ咳払い。高貴も預かりっ子である。
「いや、高貴は違うぞ。ちゃんと弟子だし、修行って言う立派な目的がある!」
阿久津はそう言い正すと、邪魔な物体と化している、部屋の主の様子を見る。
「おい、惺。聞いてるか?」
高貴が惺の手を持ち挙げて見せる。惺は石化から、多少人間の気を帯びてきているようだったが、魂はまだ戻っていないように阿久津には見える。
(だとしても先に真弓さんに、了解して貰っておかないとイカンだろう)
ただでさえ真弓に直接連絡をつけること出来ないのだ。
「前もって、惺とは話をしてありますが、今後の捜査の状況によっては、早川さん、又は早川の弁護士に、話を聞く必要が出て来る可能性があります。まだほかに調べる余地があるため、今は時期早々と判断しましたが、捜索が難航した場合、真弓さんが依頼者ということは隠した上で、話しを伺うかもしれません。ですので」
そこまで阿久津が説明すると、真弓は阿久津の言いたいことを察知した。
「捜索が父に知られた場合、私が外出禁止になるだけで済むか、と言う事でしょうか?」
「はい」
阿久津が頷くと、真弓は自分の知ること、それに対する回答する。
「斐川様と喫茶店で、お話しさせて頂いた日、父から今後このようなことした場合、結婚をしなくていいと言われています。なので、私が父に黙って何かをしたり、言いつけに背くようなことをしない限り、そうはならないと思います。ですが、捜査を進める事で工場の存続が難しくなると判断された場合は、すぐ捜査を中止してください」
真弓は毅然とした顔をしている。

(つまり、真弓さんが今度何かを起こしたら、工場もダメになる可能性があり、そうなるくらいなら、捜索は諦めると)
と、阿久津は解釈する。
「いいの、それで? だって、旦那さんと子供を探すために、好きでも無い人と、結婚するんでしょ?」
高貴が真弓を心配する。が
「探す時間を作るため、です。それに斐川様との約束もありますから。」
真弓は高貴に笑いかけ、ありがとうございますとお礼を述べる。
真弓の答えに阿久津は
「かしこまりました」
と、答えた。

11・下書き

「ってゆーか、ホント駄目だな」
阿久津は今一度、惺の状態を確認する。
「押し入れにでも入れとくか?」
見える位置に居ると、何となく腹が立つため、阿久津は立ち上がり、惺を隠そうと押し入れの襖に手を掛ける。
「あ、開けちゃダメ!」
高貴が慌てて阿久津を止める。
阿久津は高貴に頼むつもりだったが、それは自分の都合である。
「やっぱり、今日は辞めとくか?」
(事情を説明するにしても、長居をさせた理由をどうするか)
との阿久津の提案に、高貴は
「それじゃ真弓さんのおとーさんに報告が出来ないんでしょ?」
と反論。阿久津は頭を掻いて考える。
「まあ、やり方が判れば良いわけだからな~」
話す度に溜息が出る阿久津。6畳の鴨居の左右に紐を3本渡し、上に置く本チャンの生地を貼ったタモを指し
「どうする?」
「それは無理!」
思いっきり首を横に振る高貴。

箪笥から小さな布1枚を取り出し、ちゃぶ台の上に紙を敷くと、その上に布を広げる。
「下描きの描き方が分かればいいんでしょ?」
高貴はサクサクと準備を始める。

(ホントは、惺の描く所を見て欲しかった)

細い面相筆に水で溶いた青を含ませ、机に置いた布に線を引き始めた。

下描きに使う青の色粉は、露草が原料。女の子が露草で、色水を作って遊んだりするでしょ、あれがそう。
色止め用の『糊』を置くための下書きになるんだ。

布に何もせず、そのまま色を塗ると、どうしても、色が滲んで絵がぼやけちゃうから、絵がぼやけないよう、布に線状に糊を染み込ませて堤防を作る。
その糊の線を引く前の、目安にする青線を描くことを下描きって言ってる。

糊が清書って言えば、分かり易いんじゃないか?

「例えば、こことか」
柄の付いたハンカチを取り出し、指を差す。絵の線になる部分だけ、色が白く抜けている。
「そこが糊を引いた部分。全部色を着けた後、蒸して糊を取ると、糊の部分だけ生地の白になる」

「下描きの青は?」
「染料じゃないから、糊を蒸す時一緒に消える。で、今日は下描きの青を引く作業」

細い面相筆で細い線を布の上に、迷いなくすらすらと描いていく
「デザインは出来ているから、デザインと同じ感じで。でも、描く方は構図が頭の中に入っているから、デザイン画は依頼主や他の人に見せる時にしか、使わないかも」
水仙の花を正面、斜め、横と、違う角度で効率よく描く。
「全然間違えないけど、間違えたらいけないの?」
葉、茎も同じよう手前から順、はみ出し線を出さず、効率良く描いて行く。
「間違えたら行けないのは糊。今は糊の前の下描き。水で消えるから」
筆先を水入れに浸け、たっぷりと水を含ませると、今引いたばかりの線を中心に、周囲にも染み渡るように水を乗せる。見る間に青線がぼやけて行く。
更に水を追加して、青色を水に散らして線を消す。
「でも乾かないと、次が描けない」

話している間に描き終える。
「大分速くなったな」
と、阿久津が感心する。

「すごい、こんなに描けるなんて」
キラキラした笑顔で見守る真弓。
複雑な高貴。
「おれなんか全然ダメ。デザイン以前に、線の太さが一定しない。長い線も歪んでるし、直線も苦手。まだ練習しかやらせて貰えてない」

試し描きのため、高貴はハンカチをそのまま台所へ持って行き、ジャブジャブ洗って水を絞る。
「え、どうして?」
真弓が驚くが、高貴は淡々とする。
「練習だから。糊はまだだし。消して、また練習」
「でも折角、描いてくれたのに…」
高貴は、鴨居に張られた紐の一本に、水を絞ったハンカチを吊るす。反動で、既に描き始められた白生地が揺れる。

本当なら、あの真弓の笑顔は、惺に向けられるべき顔なのに。

(本当は、惺が描くとこ見てほしかった。今日は駄目でも、次があるって思ってた。でも、あのデザインじゃ、きっといつ見ても同じかな。真弓さんは、好きに描いていいって言ったのに)

何で、惺はあのデザインにしたんだろう?
おれだったら絶対嫌だ。
描きたく無いし、惺にも描いて欲しく無い。真弓さんにも着て欲しく無い。

高貴は、出来上がった着物を着た真弓を想像する。

高貴の目線の先には、張られただけで、まだ描かれていない布がある。
「じゃあ、お前が描くか? 惺の代わりに」
阿久津の声に、振り返る高貴。
「…」
阿久津は、こればかりは仕方ない、という顔で、言い聞かせる訳でも無く、高貴に話す
「でもそれは、お前が作家として独り立ちしてからだ。その時、真弓さんがお前に『好きに描いていい』と、依頼したらだけどな」
阿久津の言いたいことは、高貴もよく分かっていた。
「わかってる。惺をすごいって言われたいのはおれで、惺が馬鹿にされるのが嫌なのは、惺でも真弓さんでも無くて、おれなんだってこと」
(駄々を捏ねているだけだと分かっている。自分が言うことじゃ無いのも理解している。けど)
理屈じゃない、感情のコントロールが効かない。そんな高貴に、真弓は申し訳なく思い、悲しそうな顔になる。
「斐川様や阿久津様にご迷惑を掛けただけで無く、高貴さんにも、ご迷惑をお掛けしてしまっていたのですね」
高貴は、真弓の罪悪感を否定する
「ちがう、迷惑なんかじゃないし。真弓さんとお揃いになるのが嫌なんじゃなくて、真弓さんが自分の着物持ってないって、みんなお下がりで、初めて作る柄ものの着物がコレだって言ってたって。惺もまた悩み始めて」
だから、高貴は期待した。一度諦めたことを。
「惺が下手だって言われんのが、嫌だったんだろ? そんなこと惺は承知の上だし、アイツの着物は大抵変だし、今更馬鹿らしい着物が1枚や2枚増えた所で、どうってこと無い」

惺の指が動いたような気がするが、阿久津は無視。

「それに、本当に下手クソなら、誰からも相手にされやしない。気になるから文句を言う。邪魔だから叩く。お前も、ヘタクソ!って言われるぐらい上手くなれ」
真弓が、阿久津を見つめている。次に高貴を見つめて、少し考えると、立ち上がり、立ちっぱなしの高貴の前に立つ。
「私は、嫌な思いはしていません。斐川様にはむしろ、私の我儘な依頼を受けて下さった上、ここまで考えて下さったこと、阿久津様、高貴様には本当に感謝しています」
一瞬、ハッとする高貴。
「心配してくれて、ありがとう」
高貴の手を両手で握り、頭を下げる真弓。
「…ごめんなさい」
ようやく感情を制御出来たのか、出過ぎた真似に気付き、落ち込む高貴。

12・別人のような真弓

頼みの高貴が落ち込んでしまい、途方に暮れる阿久津へ、真弓が料理をしたいと願い出る。今日はメープルシロップを持参し、おやつにパン耳でフレンチトーストを作るとのこと。
「パンを卵液に浸して、フライパンで焼くだけです」
「高貴はホットケーキが作れるから、大丈夫だよな」
と阿久津が太鼓判を押すため、真弓と高貴で、半分ずつ作ることにする。バターが無く、マーガリンで代用。まだ落ち込んでいる高貴は、ちまちまと食べる。
耳だけなのに柔らかい。優しい味とシロップの甘味にホッとする。
「高貴様は、どうして友禅師になりたいの?」
真弓が優しく質問する。高貴はうっと口を詰まらせるが、気を取り直すと
「親が死んだ後、兄弟で親戚に預けられたんだけど、そこの家も貧乏だったんだ。弟たちを家に住まわせて貰うだけで精一杯。一番年上のおれが働いて食費くらい渡さなきゃいけなかったから、働き口を探して、師匠の家で丁稚をする事になったんだ」
高貴は、決して裕福とは言えない家の事情を、隠すことなく真弓に話す。
「弟さんに、仕送りしているの?」
「俺はまだただ働き。お金が貰える様になるのは、商品を扱える様になってから」
真弓も、高貴が普通の子供以上に、家事を熟していることは気が付いていた。
「そんな…」
「いいんだ。丁稚をすれば、食べさせて貰えるし、学校にも行かせて貰える。修行して商品を扱える様になれば、お金も貰える」
「だから料理もするのね」
「うん!」

元気が出て来た高貴に、阿久津と真弓は安心する。

真弓が分量と作り方を描くと、阿久津も写しを貰う。
「これも以前作ってたんですか?」
「はい、パン耳じゃなくて普通のパンでしたが、主人の好物だったんです。体が弱った後も、これだけは良く食べてくれて」
阿久津も高貴も、真弓がご主人を語るとき、どれほど慕っていたのがよくわかる。
ゆえに阿久津は、どうしても親族の言う貝塚と、真弓の言うご主人のイメージが一致しない。立ち入った話しではあるが
昔の話を聞いてみる(捜査に有効かもしれない)
「ご主人は、真弓さんの従者だった方なんだそうですね」

真弓も、誰から聞いたとは聞かず、そのまま答える。

「母が亡くなった後、沢渡の紹介で従者なった主人は、私のことを陰日向支えてくれました。家を出て、一緒に住んでから、怖い人が訪ねて来て、主人が悪い人と繋がりがあることを知りました。それでも主人は優しく、私も別れようとは思いませんでした。一部、私が騙されていると言う噂もありますが、他の人が言うように、私は主人に騙されたとは思っておりません」
真弓は、自分の思いを阿久津に伝え、阿久津も真弓の気持ちを、優しい味に準え納得する。高貴の言うよう、好きでも無い人と結婚するには、相当覚悟が必要だったろう。
いや、本当に好きでも何でも無い人なのか?
「井荻さんは、工場と一緒で、時間を作るためだけ、なんですか?」
聞く必要は無いかもしれないが、阿久津は念のために聞いてみる。真弓は少し俯くと申し訳なさそうに
「お見合いで紹介された方は、全員親族の推薦でしたが、井荻様は父が直接連れて来た方でしたので、ある程度、私の我儘が許されるだろうと思ってのことです」
真弓は更に、言い辛そうに話しを続ける。
「井荻様とは、お見合いと打ち合わせ以外では、お会いしたことはありません。ただ、お見合いの前に、調査書は読ませて頂きました」
「調査書?」
「はい、第三者に依頼した、身辺調査報告書です」
(興信所に依頼したのか)
「ご主人の事があったから、ですかね」
「だと思います」
物々しい警戒も真弓さんの前科のため。
なら、井荻さんに彼女がいたことを知っていてもおかしくは無い。お互いの前歴から、割り切った結婚だと解釈して、好きでも無い人を選んだ可能性もある。
(他人事と言えばそれまでか)
にしても、未だ戻らない惺に、腹が立つ阿久津。

折角だから写真を取ろうか。
なんで?
フィルム余ってるから、ついでに撮って今の惺を本人に見せれば、この悪癖直す気になるかもしれないし。
それいいかも

じゃあ記念に
3人の写真を撮る阿久津。

高貴から真弓にお願いする。
高貴様はちょっと…

将来、高貴さんがお師匠様から認められて作家になった時は、高貴さんが描きたい絵で1枚、お願いしてもいいですか?

車中の真弓

「今日は本当にすみませんでした」
帰り道も、阿久津は真弓にお詫びする。
「写真も書類も、お渡し出来る日ようになるまで、責任を持ってお預かりして置きますね」
横並びに歩く真弓に、阿久津はそう約束すると、真弓は何処か寂しげな笑顔で、お願いする。

夕暮れが早くなり、既に帰宅ラッシュの始まっている。真弓を松崎に預けると、いつもと違うホームに向かう。いつもなら、このまま帰路に付くのだが。

さて、行きますか

夕暮れを背に車を走らせる松崎。交差点の信号が赤に変わり、停止線前で車を止めると、真弓は後部座席から、松崎に礼を言う。
「お使いを有難う、シロップが役に立ちました」
「どうでしたか、今日は」
車道の両脇を彩る商店街は、夕方の買い物客で賑わい、親子連れの姿が目立つ。
車から外を眺める真弓は
「楽しくもあり、悲しくもある。そんな日でした」
松崎に答えた。真弓の穏やかな横顔がバックミラーに映っている。
「そうですか、悲しいだけじゃないのなら、それで何よりです」
信号が青に変わったことを確認すると、松崎はゆっくり発進した。

アパートでは、

高貴が惺の肩揉みをする。阿久津と真弓が去ったのち、惺の石化はほとんど解けて、ラジオは流行歌を流している。
「ごめんなさい」
メープルシロップの甘い香りが漂うも、既に完食済みである。惺はパン耳にマーガリンを塗ると、砂糖をかけて食べていた。
「そんなに嫌か?」

惺は、高貴に真意を問い掛ける。と
「おれ、なんであの絵が嫌か、自分で分からなかった。けど阿久津さんに、お前が描くかって言われて、惺だって描くのが嫌なはずなのに、なんであの絵にしたのか、分からないのが嫌なんだってわかったんだ。だから、いつか分かるようになった時、嫌だと言ったことを後悔するかもって」
もうひとつ、真弓に高貴様と呼ばれた時、自分はまだ観客で、舞台に立って居ないこと。高貴は自分の立ち位置を、真弓によって気付かされた。

石化中、体は動かずとも、声が聞こえていた惺。
高貴の意見は普段言わない、一般に近い意見だと判っている。

高貴が分からなくて当然だと、惺は思う。惺も自分でよくわかっていなかった。
壁に持たれた背中を、惺はよいしょっと起こして、立ち上がる。
「高貴、最近師匠の機嫌はどうだ?」

阿久津 工場で無視される

工場は駅から歩きで40分は掛かる場所にある。日が落ちた暗い道。小さな田んぼに稲穂が実る。真っ直ぐな先にある、丸いガスタンクが目印になる。
阿久津が今日の設定をする際、惺から聞いた話しによると
「関係者以外入場禁止だってさ。警備員もいたぞ。あと、近所の食堂で聞いた話だと、何人か入れ替えられてるって話だ」
対する阿久津は
「真弓さんと会ってから、工場行く」
と決めると、惺は
「なんで?早く行った方が良くない?」
と疑問を投げた。思わず眉間にシワが寄る阿久津。早く行きたいのは山々。だが
「電話すんなって言われてんのに押しかけるんだぞ?万が一、捜査ぽしゃること考えて、真弓さんには了承して貰って置かないと駄目だろ」
と説明する。しかし
「いや特攻する方が、余程工場を危険に晒しているような気が…」
とのこと。
「お前最初断って、俺に全部投げるつもりだったろうが!」
今考えると、そっちの方がまだややこしくなかったのではないか、と阿久津は思う。ねじ曲がり方がハンパ無い知恵の輪を、渡された気分になる。
(電話すんな? そう言うなら、こっちの納得する様に、理由をちゃんと説明しろ!)

怒りを勢いに、工場に辿り着いた阿久津は、遠慮なく敷地内に侵入。光の漏れる窓。プレハブのドアを叩くこと無く、ノブに手を掛ける。
「こんにちわー」
喋れると同時に、勢いよく奥へ押し開く。すると
以前、受け付け代わりに出てくれた、パーマのおばちゃんは居なかった。それどころか、事務所の中は静まり返り、誰も阿久津の相手をしない。内部を見渡すと、机などの物質や備品類に変わりはないが、そこに居るべき『人』が違うと気がついた。

人に何かを頼む事すら面倒だと言う惺が、はやく確認した方が良いと阿久津に言った。それだけでも阿久津は、嫌な予感はしていたが

「よっ、こんにちは。○○さんいる?」
元おばちゃんの席にいる人に、ピンポイントに聞いてみる。
「あれ~、前にいたパーマのおばちゃんは?」
おばちゃんの席に、代わりに座る、ネクタイの男は反応せず、別の場所の人間が席を立つと、何もなかったように書類を棚に仕舞っている。以前と何が違うと問われたら、人が吐く空気すらも阿久津には違うように感じられた。他にも数人変わってる。その中には阿久津の『友人』も入っている。

やばいな、と阿久津は思った。加えていつからだろう?と考える。
「え、何、どうしちゃったのみんな。ひょっとしてなんか俺、邪魔にされてるっていうか、なんか口止めでもされてんの?」
捜索を始めて2か月あまり、阿久津はここには来ていない。工場を潰させない為には、真弓さんと井荻さんを結婚させればいいものだと、惺と同様、阿久津もそう思っていた。
「あーそう、いいよいいよ、教えてくれなくても。それも結構。勝手に入らせて頂きますよ」
阿久津を無視し、淡々と作業を進める事務員たち。相手にせず、追い出しもせず、2、3人いるスーツの男は、阿久津に冷たい視線を向けている。
その内のひとりが立ち、阿久津を上から下まで物色する。異様に背が高いスーツの男は、物色が済むと出て行った。
他のスーツの席にいたのは、俺に色々教えてくれた人。
よく働くと褒められていた人。この工場を好きだといった人。
作業着を着る事務員の中にも見た事の無い人がいる。
前から居て残っているのは、気の優しいおじさん、体の弱いおばさん、子供が小さく良く休む主婦に、覚えの遅い…。
立派な空席は管理者だろうか? さっき出て行ったスーツの席。
「!」
今現在、阿久津の立つ場所。すぐ近くの席には、おばちゃんから押しに弱い子だと聞いた、か細い女性が座っている。ただし、体を強張らせて、心なしか震えている。
阿久津は、改めてプレハブ室内を見渡すと、スーツの男たちの席は、事務員の合間。丁度目が届く場所に配置されている。
(監視がいる、ということか)
すでに終業時刻は過ぎたはず。なのに、作業を辞める者がいない。
(井荻さんが、電話に出なくなったのはいつだった? 連絡不要と言だしたのはいつだった?)
事務員たちの異常について、阿久津は、いけ好かないネクタイの男にに聞いてみる。
「○○さん居ないし。ナニコレ?どういうこと」
すると
「おい、何の用だ」
厳つい警備服を着た男が来た。
阿久津は、惺から聞いてはいたが
(本当に警備員までいるのかよ)
と、緊張する。
先ほど出て行ったスーツのひとりが呼んできたらしい。警備服の後ろから妙に背の高いスーツが現れると
「社員の借金の取立てなら、会社の外でやってくれ」
と、阿久津に通告する。
警備も阿久津を借金取りと間違えたのか
「つまみだせ」
の声に反応し、阿久津に襲い掛かる。

その後ろから
「やめてください」
と、状況を制止する声が聞こえた。
その声の主が姿を表す。と、阿久津が見覚えのある顔だった。
「井荻さん!」
阿久津は、人の顔を覚えるのが早い。仕事上、顔と名前を忘れないよう、必ずチェックするため、井荻とも一度会っただけだが覚えていた。
「ご無沙汰しております! 阿久津です。今日は報告じゃありませんよ。友達に会いたくなって来たんですが、居なくなってて、驚いて」
阿久津の名前に気がつくスーツ。驚くネクタイ。井荻は、聞き覚えのある声を思い出す。アロハ姿の侵入者の正体は、迷惑電話の主である。
不機嫌を露にする、背の高いスーツの男。井荻を睨み
「公私混同はしないよう願います」
と命じると、立派な空席に座って待つ。
作業着の井荻は、阿久津に向かい
「今日、お約束は何もしていないと思います。ご友人の事は、直接本人に聞いて頂けませんか」
と話すと、スーツは話しに割って入る。
「無用なら、もう来ないで頂きたい」
阿久津はスーツの話し振りから、あの電話の偉そうな奴は、きっとコイツに違いない、と、勝手に思い込みで決め付けた。
「え~、ここの責任者は井荻さんでしょ。なんでアンタが言うの? それに俺は有用です!」
「今、ここの責任者は私です」
(なんだって?)
阿久津がその場で凍り付く。
そんな阿久津をスーツが見据える。
「それはあなたの都合で、こちらとしては大変迷惑です」
阿久津は、無意識に手を硬く握り締めると、スーツに向かって質問をする。
「アンタ、名前は?」
「2度と会わないのに、不要でしょう」
スーツがそう言うと、阿久津の後ろから、警備員が阿久津を捕らえる。
両腕を掴まれ、後ろ手にされ
「ホラ、出て行け!」
と腕を捻じ上げ、出口に向かって体を押される。ドアの前
追い出される前に、肝心なことを思い出す。
「ちょっとまった!」
警備員の押しに抵抗しつつ、後ろを振り返り、井荻に問う。
「井荻さん、折角会えたんで、営業です、営業! 井荻さん、着物どうするんです? 花婿衣装の羽織と袴!」
警備員に引きずられて、もがく阿久津。
「いい加減、くだらない私事は辞めて下さい」
スーツの男は井荻にそう怒る。が
「え、会社に関わる事でしょ?」
阿久津の声に、気がつくスーツと井荻。
井荻がスーツの横から、追い出される寸前の阿久津へ答える。
「三押で『般若の製作者』を紹介して貰う際、私の衣装は三押で作る事となっています」
(三押のヤロー!)
阿久津は心の中で罵倒して
「あーそりゃ、やられちゃったな~。じゃあ、また今度の機会は是非。奥様の礼服に、お子様の七五三など。どうぞお忘れなく、ご連絡下さい!」
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(なんてこった…)
予定変更。阿久津は工場へ寄ったのち、帰宅するつもりでいたが、惺のアパートへ戻ることにする。阿久津は、真弓が井荻と結婚すれば、全て丸く収まると、工場も助かるものと思っていた。
(大切なのは工場を守る事。しかし今の工場は何だ?あれが守りたかったものなのか?)
俺は違う、と阿久津は思う。
(なら、井荻の守ろうとしたものは何なのか?工場を建て直すためだと聞いている。が、それは本当なのか? 井荻は工場に居た。しかし今日も見学には来なかった。井荻の真弓への無関心。当の真弓も井荻に対し無関心でいる)
ふと阿久津は、惺が井荻を気にしていたことを思い出す。真弓さんに無関心過ぎやしないか?と。

(いや、無関心はこっちも同じ。工場の変化に気が付けなかった…)

秋の夜、流石に半袖は寒いゆえ、惺に上着を借りる算段をする。
電話はしなくても大丈夫だろうと、駅から即座にアパートへ向かう。

(何やってんだよ井荻さんは、ホント勘弁してくれよ)
阿久津は、悪態を吐きながら、今日2度目の夜道を急ぐ。

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